道化師達の祝祭

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 ──全ての生命は、星となって昇った。

 この俺も例外ではなかった。

 ヘビ使い達は新しい宇宙を作り出し、終わりは始まりへと繋がった。

 しかし何事にも寿命というものがある。恒星はやがて赤色巨星へ、あるいは白色矮星へ。やがては超新星爆発を起こし、パルサーやブラックホールが残されることもあった。吹き飛ばされたガスが長い長い年月の果てに、また新たな星の一部となったこともあった。

 そして。閉じた宇宙そのものが、再び終わりの時を迎えた──



「だれもーいないー、はまべーのゆうひー……」

 いや、まだ夕日にはかなり早い。それでもつい、この景色を見れば思わず歌でも口ずさんでしまうというものだ。まさに誰もいない浜辺。その先にはエメラルドグリーンの大海原が広がっている。よく見ると、水平線が直線ではなくわずかにカーブを描いている。つまりここは地球のような球状の惑星なのだろう。

 さっき目覚めた森の中から少し歩いたところ、この浜辺に辿りついたわけだが、俺以外の他の誰の足跡も見当たらない。胸元から懐中時計を取り出し、ぱちりと蓋を開けてみた。時計としての機能、つまり地球の標準時刻とカレンダーはそのまま作動していた。アンティークな機械式だったのが幸いしたのだろうか。後から俺が組み込んでみた、GPSなど地理情報にまつわる部分は全て停止している。データを送信してくるものが近場にないか、もしくは意図的に信号が遮断されているようだった。

 暇だ。あまりにもやることがない。森には果物が実り、まあ悪い味ではなかったがそれだけだった。浜辺の磯には貝や小魚が生息しており、探せばもっと生物がいるのだろう。しかしあえて探す理由も特に見つからない。

 しかも暑い。熱帯といってもいいくらいだ。浜辺とは逆方向、島の奥に目をやれば険しくそびえ立つ山があり、その頂きは白銀を帯びているのが見えたので、あそこまで行けば違うのかもしれないが──それにしても、島の大きさの割合からすると気候の差が極端すぎる。ここが人為的に操作されているフィールドなのは間違いない。

 しばし逡巡した後、俺はとりあえずやれることをやった。森の奥から大き目の葉っぱを何枚か探して綴り合わせ、太い枝と組み合わせて浜辺に簡易型の日よけを作ったのである。大人一人、つまり俺が入るには十分な面積の日陰が確保された。

 次に水気の多い果物を何個かもぎ取り、岩の隙間から湧き出ていた水でよく洗ってから葉っぱで包み、日よけの下へ運んだ。これで良し。

 マントを犠牲にするのは忍びなかったので、最後に日よけの下にも適当に細かい葉っぱを敷き詰めてからごろりと横たわった。まだ熱い砂の温度が背中一面から伝わってくる。サウナにも似た感じで、なかなかの心地よさだ。

 果物をつまみながら、青い空と水平線を眺める。思ったより悪くない気分だった。元々出来すぎたリゾート地のような景観なのだ。ある種の天国のような場所ともいえた。別に俺が望んでやって来たわけでも、他に誰がいるわけでもない点を除けば。

 もう少し慣れてきたら、別の場所も探索してみるか──そんなことをぼんやり考えるうちに、いつしか俺は柔らかな眠りの世界へと誘われていた。


 ☆

「……ス? ……ベ……ス!」

 夢だ。

「おい、本当にお前なのか……お前なんだよな?」

 夢に違いない。

「マクベス!!!」

 あり得ないことだ。そして、よく再現された夢だ。俺の欲望をここまで理解しているとは、夢のくせに憎いばかりだ。俺の深層意識の混沌から汲みだされたヴィジョンに乾杯。

 砂の上で寝っ転がっていたはずの俺は、肩をがしっと掴まれて強引に上半身を起こされていた。服の内の肌にも、肩を掴んでいる細い指の感触が伝わる。痛いくらいだった。

 さらに額と額がくっつきそうな距離に、あの顔があった。この日差しの下でも透き通るような白い肌。赤い覆面から覗くピンク色の目は、何億年経っても変わらない意志の光で輝いている。どこを駆けてきたものだか、少し薄い唇の間からは熱い息が断続的に吐き出され、頬も朱く染まっていた。

「──メフィ……スト?」

 夢の中で名を呼んだら、消えてしまうのではないだろうか。それでも、口が勝手に動いていた。ついでに指と腕も。奴の青いマントの端を捉えた指先が、そのまま背中へと回り──気がつけば、俺のほうからしっかりと抱きしめる形になっていた。

 ──これは素晴らしい。何が素晴らしいかというと、返すかのようにメフィストのほうからまた俺に抱きつき直してきたところ。膝立ちの姿勢で、俺の肩にその整った顎を載せて。さらに耳元で俺の名を繰り返し呼んでは、ところどころで声が詰まる。鼻をすする音が混じったところから察するに、うっすら涙ぐんでいるらしい。試しに奴の背中から首筋に指をそっと這わせてみると、ぴくりと肩が震えた。

 なんという天国。こんな夢が見れるのなら、わけもわからずこの島へ放り出されたかいもあったというものだ。

「マクベス……これは現実なのか?」

 安堵したのか、強張っていたメフィストの体の力が抜けてきたようだった。寄せられた頬がただ熱い。なんというリアリティ。夢だろうが現実だろうが関係ない、こうなったら──

 俺が、浜辺にそのままメフィストを押し倒そうとした次の瞬間。

「──違う!」と、声が響くなり、強烈な衝撃が俺の体を突き抜けた。脳が揺さぶられ、意識が再び闇に還る。せっかくいいところだったのに、これだから夢ってやつは……。


 俺を夢の世界から引き戻したのは、頬を撫でる涼しい海風だった。薄目を開けると、上に広がっていた空はかすかな紫を帯び、この午後もゆるゆると終わりに向かっているのだと教えてくれていた。

「……ああ、まったくもう……」

 思わず、八ノ地教の呪言をまき散らしそうになる。それも覚えているものをありったけ全部。たぶんこの島くらい、簡単に滅ぶだろう。ひょっとしたら星ごと。

 体を起こすのもおっくうだった。マントが葉っぱと砂にまみれるのも構わず、悶絶しながら俺はごろごろと浜辺を転がってみた。

「だってあんなに都合のいい夢なんて、何億年、いや何十億年に一度の奇跡だろ……メフィストがいきなり目の前に現れて、しかも俺に抱きついてくるとか、悪魔のミサイルを使って時空操作してもありえないレベルの出来事としか思えん……」

「物騒なことを言うな」

 不意に、人影がぬっと俺の顔を覆った。さっきの夢の中と同じ、ヴィオラの名器のような艶やかな張りがある声。

「まーた夢か、もういいよそういうの」何もかもが嫌になり、俺はさらに一メートルほど横に転がってみた。

「……大丈夫か? まさかさっきのショックで、記憶障害を起こしたりしていないだろうな」

「夢なら早く覚めろよ。もうわけがわかんねぇ……」

「ふむ」 心配そうな声で、影は俺の側にすっと膝を屈めた。道化師のような二又の大きな青い帽子、同色のマントと衣服。顔面をすっと横切るように巻かれた赤い覆面は、後頭部で結ばれた後に長い端がひらひらと海風にひるがえっている。

 胸元にはおなじみの──あのパイプが細い鎖に繋げられてぶら下がっている。ノーストリリアの民が宇宙の創造と再生のために作り上げた、まさに叡智の結晶。俺たちの時代には悪魔のミサイルを生み出した呪わしき遺物。

 ん? ちょっと待て。いくら夢でも、あのパイプは明らかに変だ。単なる飾りではない。スペシャリストであれば誰もが感じるような、恐ろしいほどのエネルギーを発散し続けている。持ち主が抑えているからまだこの程度で済んでいるだけだ。こりゃあ、リアルな夢にだってほどが──

「まさか、全部夢だとか思っているんじゃないだろうな」

 青色に身を包んだ男は、呆れたように言った。そして続けて、

「これは惑うことなき現実だ。俺はメフィスト・カカオマス。お前はマクベス。もしくはM、マクベス・ダナエ。失礼とは承知で、さっきお前の固有信号を調べさせてもらった」

「さっき? え、いつソレ?」

「……俺が防御フィールドを展開した後だ。反射的な行為だったとはいえ、はじき飛ばすような形になってしまった。この件については深く謝罪する」

 カチッと、頭の中の空白にピースがはまる音が聞こえた。体を突き抜けた衝撃。あの後しばらく俺は気絶していたらしく、それでこれが現実で、その前の衝撃も現実だとすると……。

「うわあああああああああ!!! なんだよそれ!」

 思いきり絶叫した後、俺はがばっと身を起こした。目の前の男──メフィストは、ふいと横を向いてはいたが、その頬がみるみるうちに朱に染まってゆく。そう、さっきと同じように。夢ではなく現実の「あの」出来事と同じように!

 そして思い出した。決定的な一言を。

「なあ、『違う!』って何だったんだよ……? 俺、俺、本物のマクベスなんだぜ? なんであんなところでいきなり防御作動とか、お前の考えていることがまったく理解できねえ……」

 今度は俺が泣きたい番だった。いきなり現れておいて、抱きつかれて、いかにもOKな感じで、最後の最後になって「違う!」なんていう不可解な理由で気絶させられる──これだったら、夢だったというオチのほうがましなくらいだった。

 しかしそう思ったのも一瞬のことだった。なぜなら次にメフィストが発したのは、

「──俺が探していたのは、お前ではない」

 という、惑星が数個まとめて吹っ飛びそうな一言だったから。


 ☆

「ときがーとまるーことーをー、ねがーっていたー……」

 無心で砂山を築きながら歌を口ずさむ俺に、「まだ話を聞く気になれないのか?」というメフィスト・カカオマス殿の冷静な台詞があびせられる。これで十回目、いや十何回目だったか。数えるのもやめてしまったので正確なところはわからない。

 はるか昔は政治の駒、次は亡国の王子、その後は執政官から元執政官、スペシャリストの名誉と幾多の血塗られた争い──数えきれないほどの栄光と滅びを見つめ続けてきたこの身であっても、堪える出来事がまだ残っていたというのは予想外だった。

 奴の深いため息が聞こえた。これも何十回目だっただろうか。

「ああ、もう……暑いな」

 横で、ばさりと帽子を脱ぐ音がした。いいよいいよ、そうやって気を惹こうとするなら、全部脱ぐくらいのレベルじゃないと俺は見向きも……と思いながらも、ついついチラッと目をやってしまうのは今や悲しい習性でもあった。

 赤い覆面はそのままに、帽子に抑えつけられていた金色の髪が出現している──だが、しかし。強烈な違和感があった。

「ちょ、ちょっと待てメフィスト!」

「ん?」

「……お前そんなに、髪長くなかったよな……」

 俺の記憶の中のメフィストの髪型は、耳はきちんと出るように、さらに襟足の部分はすっきりとカットされているものだった。覆面を身につけるようになる前からの習慣。あまり変化を好まない性格もあってか、今のような装束をまとうようになってからもそこは頑固に守っていたはずだ。

 それが──目の前の奴ときたら、肩に届くほどまでに髪を伸ばしている。さっきは帽子の下に巻きこんでいたのだろう。

「ああ、変装だ。俺をよく知っている奴が多いところに潜り直す必要があった。計画の最中には覆面も衣装も全て変えていたんだ」 あっさりとメフィストは答えた。

「俺の知らないところで、いつの間に何やってるんだよ!」

「当然だ。お前にとっての未来。俺の……過去の話だからな」

「えっ?」

 さすがに数秒頭が混乱し──また唐突に俺は理解した。今度は一気に全てを。


 星士とミサイリストの力を受け継ぐヘビ使い。パイプの継承者でもある彼らは、リリア・シシとネロ・シシという名だった。ノーストリリアの血と遺言の元に、ヘビ使いは全生命を星となって昇らせ、新たな宇宙を生もうとしていた。

 一方、俺たちスペシャリストはヘビ使いの計画を食い止めようと抗った。宇宙の再生は天界の望みでもあり、スペシャリストと天界はしばしば対立していたからである。

 だが、ノーストリリアの意思は何事にも勝った。俺やメフィストが所持するパイプも、ノーストリリアの産物であることを考えれば必然の帰結ではあった──それでも、あの戦いが無駄だったとは思っていない。言葉で通じぬ思いは、剣と剣で交わすしかない。俺がずっとそうやって生きてきたのだし、スペシャリストという人種の多くも同じ習性を持っていた。

「マクベス。お前は……『この』宇宙に関する記憶はあるのか? ないだろう?」

「ああ。ヘビ使いが新しい宇宙を作ったところまでは覚えているが、その宇宙ももう終わった。突然ここに突き落とされたような感じだ」

 俺の返答に、メフィストはふむふむとうなずいてから『未来』のことを簡単に説明し始めた。

「あれから俺やお前が正式に生き返るのは、もっと後のことだ。詳しくは話せないが、トレーダー分岐点が関係している」

「……そりゃあまた、ずいぶん大がかりなことをするもんだな」

 間違いなくまた大事件が起こるのだろう。あらゆる時空の全てと繋がる、幻の分岐点だ。そんなものを操る存在といえば──宇宙がひっくり返るほどで済めばいいのだが。やれやれ、また面倒なことが待っているのに違いない。

「さらにその後、またこれも詳しくは話せないが……」

「お前、いつの間に焦らしプレイの達人になったんだよ!!」思わずメフィストの細い首を絞めそうになる。

「しょうがないだろう。今この場所に、俺たち二人が同時に存在しているのがあり得ない確率なんだ。特にお前に、あまり必要以上の情報を与えるわけにはいかない」

「でも少なくとも──ついさっきあんなことをされておいて見逃すほど、俺はイージーな人間じゃない」俺がにやりと笑うと、メフィストはついに観念したように両手を軽く上げた。

「わかった。では簡単に説明しよう。俺はその後、お前のおかげでとある積年の問題に決着をつけることができた。お前に礼が言いたくて探していたのだが……時空の混乱に伴い、かなりの歳月を費やしても手掛かりを見つけることすら叶わなかった。そこで思い出したのが、トレーダー分岐点だ。ヴィヴァルディ竹原が昔、トレーダー分岐点を操作するためのコントローラーを作っていた。回路のおおまかな部分はその時見せてもらったし、精度は落ちるが原理的に近いものなら時間をかければ俺にも再現できた。そして『ヒルトンの道』への入り口を開き、中でお前の固有信号を追跡するためのプログラムを展開した」

「メフィスト。つまり、お前が探していたのは……『未来』の俺なんだな?」

 ──壮大な話に、さすがの俺も頭がクラクラしてきた。トレーダー分岐点は確かにスペシャリストが次元を移動するために使われたこともあるが、次元の移動はリスクを伴う。再び固有個体に戻れなくなることも十分考えられた。

「そういうことになる。お前の固有信号に違和感を覚えて履歴を検索したら、ヘビ使いの一件以来、俺と同期していなかったことが判明した」メフィストの顔に、諦めのような表情が浮かんだ。なるほど、外見にはだまされても、中身は……ということか。

「俺は俺に違いないんだから、今の俺でもOKっていう考えはなしか?」

「……ないな」メフィストは側に転がっていた小枝を持って立ち上がると、スタスタと数歩歩いて再びしゃがみこんだ。この薄情者め!

 一方で、俺自身の嫉妬で身が焼け焦げそうでもあった。メフィストにそこまでのストーキング行為を実行させている『未来』の俺は、一体どれほどの偉業を成し遂げたというのだろうか。まったく想像もつかない。ちくしょう、『未来』の俺め。いい思いをしやがって。いや、まだしていないのか。俺のほうが先に抱きつかれたりしたわけで、その点では得なのか……? これだから時間が絡む問題はやっかいだ。

「ちょっと手伝ってくれ」

 ぶつぶつ言っている俺を呼びつけるメフィスト。見ると、砂地を一平方メートル分ほど使って、みっしりと曼荼羅のような図形が描かれている。小枝の先で描いたにしては、唸るような精密さだった。中央部に半径数十センチほどの空白があった。

「何かの回路か?」

「そうだ。俺が中央に立っている時に、こことここに起動の線を引いて欲しい」

「……って、これ起動したらどうなるんだよ」

「再び『ヒルトンの道』が開かれる。前に作ったコントローラーは、あっちに置いてきてしまった。ここから脱出するには最適の手段だ」

「こんな砂絵でエネルギーが足りるとでも? 魔術じゃあるまいし、第一これはあくまで起動用の回路だろ」

 俺の冷静な意見に、メフィストは、「違う」と口を挟んで続けた。

「起動した後は、この島そのものに繋がる。気がつかなかったか? この島はヴィヴァルディ竹原が作った歌劇船ということに。しかもまだ船本体は生きている。さっき船の内部データを取得したら、ワープ航法にはトレーダー分岐点のコントローラーとよく似た原理のものが使われていた。つまり、船のエネルギーを少し消費して、ワープした先から『ヒルトンの道』へ繋げることなら十分に可能だ」

 ──あまりの間抜けさに、己を砂の穴の中に埋めたくなった。ここが人為的なフィールドだと、俺も最初から気付いてはいたのに。エウテルペ戦争以来、魔術に傾倒していた弊害がこんなところで現れようとは。焼きが回ったものだ。このスペシャリスト様に、恐る恐る次の懸念も聞いてみることにした。

「じゃあ俺も『ヒルトンの道』に引っ張りこまれるのか?」

「心配は無用だ。この回路は一人用に設定してある」

 爆発する、というのはこの時の俺のためにあった言葉ではないだろうか。指を数度組み合わせて印を切り、口の中で呪を唱えて素早く薙ぎ払う。メフィストが再び防御フィールドを展開するよりも早く。

「──M法!」

 メフィストに、呪で召喚された「あれ」が喰らいかかった。熱エネルギーを吸収し、一喰らいで生命力を半分にしてしまう恐るべき闇が。コンマ数秒も経たないうちにメフィストの顔が青ざめ、身体はふらりとよろけて砂の上へと倒れた。

「メフィスト、お前何勝手なことばっかり言ってるんだ! こんな島から脱出するなら、俺のことも連れてってやろうとか、もうちょっと人の事も考えたりしないのかよ!」

「……お前も同時に連れて行くわけにはいかない。世界線の矛盾が激しくなれば何が起こるかわからないし、第一近似値によるエラーで、固有信号の検索がより困難になる。一度に複数の道をうまく開くのも、手持ちの機材では無理だ……」荒い息をつきながら、メフィストがうなだれたまま言った。そう、そんな事実は俺も既に承知しているからこそ、余計に腹立たしいのだ。『未来』の俺と、そいつにご執心なメフィストのことが。

 怒りの感情に身を任せ、俺はメフィストの手から小枝をもぎ取ると、さっき示された起動用の線をササッと砂上に引き終えた。次の瞬間、回路の空白部分に青白色の巨大な光がまたたいたかと思うと、みるみるうちにそれは球状に膨らみ始めた。

「暴走だ……」放心したようにメフィストがつぶやく。「まずい、中心に一定以上の質量が用意されていなかった分、回路が補填のために何かを吸いこもうとしている。あれに触ったら……」

「どうなる?」答えを待たず、とりあえずメフィストの襟首を掴んで俺は勢いよく走り出す。もちろん光の球と反対の方向へ。とてつもなく危険な予感がすることだけは間違いない。

 と、不意に何かに足を取られて俺はすっ転んだ。はずみでメフィストを投げ飛ばしそうになったのはなんとか堪える。何かと思えば、浜辺にしては大きな石が埋もれていたのだ。両手でかろうじて持ち上がるかというほど。球は俺たちのすぐ背後まで迫っている。メフィストは気絶しかけているようだ。

 ええい──最後の手段だ! 俺はメフィストから手を放すと、その石を球体目掛けて全力で投げつける。目の前で、光が無数に分裂して音も無く弾けた。


 ☆

 ひんやりとした物体が、額に当たるのを感じた。この午後の強烈な日光、メフィストに吹っ飛ばされた時の打撲、あと……そうだ、さっきの光はどうなったんだかよくわからないが、とにかく色々あった身の上にはありがたい感触だった。

「アア、大丈夫ソウデスネ」

 強引に合成された機械音声のようなアクセントにびっくりして目を開けた俺は、さらに驚くこととなった。俺をじっと見つめ、額に手──のようなものを置いていたのは形容しがたい緑色の物体だったのだ。しかも半透明で、背後に空と海が透けて見える。

「私ハ、モナト。次元ノ狭間ガ開イタノデ、覗イテミマシタ」

 どうやらこの物体X……じゃなかった、異星人らしいものは『モナト』というらしい。

「コノ島ハ、ナカナカ面白イトコロデスネ。ア、スミレ。オ墓ハ要リマセン。コノ人、生キテマス」

「おじさん達、生きてたの? あんなにぐったりしてたから死んじゃったのかと思った」

 今度は別の声がした。がばっと起き上がって周囲を見回すと、モナトの傍らに立っていたのは、花束を抱えた小柄な少年だった。まだあどけない目をしている。

「お前……名前は?」

「ぼく? ぼくはスミレ。香月スミレ」

「そうか。ところでスミレ、俺はおじさんじゃない。マクベスだ。せめて『お兄さん』と呼べ」

 スミレという少年は、不思議そうに首をかしげて「じゃあ、あっちの人もおじさんじゃないの?」と指差した。その先に転がっていたのは、俺を置いて逃げようとしたあの偉大なるスペシャリストにしてミサイリスト──メフィスト・カカオマス。もつれる足で奴の元へ駆け寄ると、脈拍・呼吸ともに正常だったので俺はほっと安堵の息をついた。だが何を勘違いされたものだが、俺が倒れていた地点にも、メフィストの周りにも、花が点々と撒かれている。

「ぼく、おじさん達のお墓を作ろうかと思っていたんだ。お父さんや君子ちゃん達のお墓も、ぼくが作ったんだよ」

「スミレハ、トテモイイ子デスネ。デモ、オ墓ヲ作ラナクテ済ンダノハ、良カッタデス」

 異星人と少年がほのぼのとしているような、恐ろしいような会話を繰り広げている間に、俺はメフィストの頬をぺちぺちと叩いた。幾度か苦悶の声を上げた後、ゆっくりと奴は目を開けた。


 夕日が沈む。長い長い昼が、ようやく終わろうとしていた。

「……本当に、これでいいのか?」

 俺は、もう一度確認した。モナトは「構イマセン、私ハココデシバラク『愛』ヲ探シマス。地球人ノ生態モ研究シマス」と、表情を変えることもなく宣言した。

 あの暴走事件。俺が石を投げこんで急場をしのいだ結果、回路はなんとか停止させられたが──予想と違っていたのは、次元の狭間が一つではなく、暴走に伴うエラーのせいで「二つ」開いてしまい、そこから別の宇宙の住人達が降ってきたことだった。

「僕もいいよ。この島にしかない植物がたくさんありそうだし、いろいろ探検してみたいんだ。僕の星に種を持って帰りたいし。モナトもいるから、寂しくないよ」

 キリッとした表情でスミレが答えた。どうやらこの異星人と少年同士もなかなか気が合うらしい。

「だってさ。行こうぜ、メフィスト」

「……………………」

「ほら、好きなほうを選べよ」 俺はまだ開いたままの次元の狭間にくいっと顎を向けた。大人の胸ほどの高さに、そこだけモヤッとぼやけて中心部に黒を溶かしこんだような空間が出現している。数メートル空けてもう一つ。

「……………………」

 メフィストは、憮然とした顔のままで座りこんでいた──奴の心の中は手に取るようにわかる。俺のM法を喰らってしまったのも、回路が暴走したのも、その結果モナトとスミレという他宇宙からの闖入者が現れたことも、全てが面白くないのだ。計画通りに事がまったく進まず、しかも俺のせいで思わぬ局面に立たされる──こいつがもっとも嫌うシチュエーションだからである。

 しかし、いつまでもぐずぐずしているわけにもいかない。せっかくモナトとスミレが順番を譲ってくれるというのだ。ここはひとつ、素直に感謝して受け取っておくべきだろう。

「よっ」

 お姫さま抱っこの要領で持ち上げると、一度M法が直撃したメフィストの身体は簡単に浮いた。

「な、何をする! 待てマクベス!」

「お前がオタオタしてるから悪いんだよ。じゃあな、メフィスト。『未来』の俺によろしく」

 メフィストの覆面と帽子の間から覗いている、額に軽く口づけて──そのまま俺は、メフィストを次元の狭間へ放った。最後に目が合った時、奴が訴えていたのは間違いなく俺への文句に違いないが、それは『未来』の俺にぶつけてやってくれ。ついでに愛情も。

 メフィストを吸いこんだ次元の狭間は、ふっと消え去った。さて、次は俺の番だ。

「モナト、スミレ、どうもありがとうな。たぶんまた会うこともないだろうけど、忘れないよ」

「……でも、おじさんは大丈夫? そっちの狭間は、さっきより不安定になっているみたいだよ」

「ソウデスネ。アナタガ彼ヲ先ニ入レタノハ、彼ノ安全ノタメダトスグワカリマシタ。残リノコチラハ、次元ノ乱レガ強マッテイマス。固体ガ分解サレル可能性モ大キイデス」

「構わねえよ。何かあってもこの先俺は生き返るって、あいつが言ってたからな」

 俺は地面を蹴って飛ぶと、もう一つの次元の狭間に体を滑りこませた。くるっと空中で身を一回転させ、モナトとスミレに軽く手を振る。

「それじゃあな」

「バイバイ、おじさん。気をつけてね」

 ……スミレ、最後まで俺のことを「おじさん」呼ばわりしていやがった件は、狭間を譲ってくれた礼として許してやろう。俺はけっこう心が広いからな。

「アナタノ未来ニ、『愛』ガアリマスヨウニ」

 モナト。こいつは異星人という以外わけがわからなかったが、広い宇宙だ、こういう遭遇も悪くない。少なくとも知的生命体であったことを感謝するべきだろう。

 やがて二人の姿と浜辺の光景が伸び縮みするかのように歪んだかと思うと、プツッと空間が断ち切れた。




 前後左右どころか天地もわからない空間を、俺の身体は漂っている。遠くから、途方も無く大きなエネルギーが迫ってくるのがわかった。モナトが予言していた次元の乱れだろう。

 トレーダー分岐点と……その後、さらにすごい事件があるとか何とか、俺の人生もまだまだ波乱万丈のようだ。今日何時間か、メフィストがやってくるまで退屈な午後を過ごしたのも良い休暇だったといったところか。

 ふと、懐中時計が告げていた地球歴を思い出す。うん、まあ、メフィストがあんなことをしてくれるというサプライズだってあったことだし。この記憶は『未来』の俺も共有しているのだろうな、と思うと、くすくすと笑いがこみあげた。まさに最上のプレゼント。

「ハッピーバースデー!」

 自分の誕生日を祝いながら、俺は果てしない時空の流れに身を任せていった。いつか絶対に、メフィストにこの言葉を言わせるのだと誓いながら。



The End.      









◆あとがき

 デレるメフィストを書きたくて書いた。後悔はしていない。

 ……正確には、前にとある方のサイトで「マクベス!と叫びながらマクベスに抱きつくメフィスト」というイラストを拝見した記憶がありまして、これを書いている最中に過去ログをたどっても該当するものが見当たらなかったので私の記憶違いかもしれないのですが……とにかくそういうシチュエーションがとても心に残っていたのです。

 四年に一度のM誕だからメフィストがデレてもいいと思う→RS7のエンディングってマクベスとメフィストの会話がないし、次元壁が崩壊した後メフィストはマクベスのことを探しているはず→ついでに最大にデレ期に入っているはず→再会したら抱きつきくらいはやってもおかしくない、という妄想の元にこういう設定になりました。

 しかし時空を越えて盛大にすれ違うマクメフィになっている件については、「マクメフィは成就しそうでしないところがいいね」という私のねじ曲がった心根によるもので、お詫び申し上げる次第です。たぶんRS7後のメフィストはいつかマクベスと会えるとは思っていますが。

 本当はこの半分くらいの長さで終わるはずが、気が付いたら二日で一万字超えてたのは、さすがマクベス様の書きやすさというべきでしょう。ありがとうマクベス! いつかぢきゅうぢそくで本当にメフィストが登場すればいいなあ、と思います。正直ぢきゅうのマクベスは使い辛い……いや、そうなったらがんばってマクメフィでやりますよ。はい。




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