エウテルペの長い午後

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◇◇◇

 この宇宙に「罪」から逃れられる存在などない。

 スペシャリストもまた例外ではない。

 ──誰よりもよく、俺はそのことを知っている。


◆◆◆

 ごてごてと古めかしい装飾が施された扉をノックすると、内から「どうぞ」という涼やかな声が返ってきた。その言葉に甘えるように、俺は扉をどんと開け放つ。

「……ああ、マクベスか」

 俺だとわかるやいなや一転、多少固い口調で対応した声の主は、窓辺の机に──正確には、大量に積み上げられた古本やら何やら紙の山脈にぐるりと囲まれた机に向かって、今もせっせとペンを走らせている最中だった。トレードマークの巨大な青い帽子とマントは暖炉脇の飾りと化したままだ。金色の髪は、普段帽子に抑えつけられている反動とでもいうかのように、持ち主の肩や背の上を遠慮なく跳ね回っていた。あの覆面さえもが、少しずり落ちかけている。

「せっかく来てやったのに、挨拶もなしか?」

 苦笑しながら、俺はずかずかと机の横に歩み寄った。

 歩く時の振動だけで、山脈から幾枚かの白い紙がはらりと舞い落ちる。俺のマントを引っかけないように気をつけなければ。これが全部雪崩れたら、たぶん互いの胸近くまでやすやすと埋まってしまうことだろう。ここで動きが取れなくなって第三者に救出されるというのは、どう考えても避けたい事態だった。一国の王子と元執政官が巻き込まれるには、間が抜けすぎているイベントだ。

「……なぁ」

 なんとか机まで到達したにも関わらず、奴──メフィストは淡々と書き物を続けている。少なくとも表面上は。いつものことと言い切ってしまえばそれまでだが、何か今日は不自然な気がした。

「おーい、メフィスト? メフィストー」

 呼びかけにも、無言のままだ。

「メフィスト君。メフィストくーん……?」

 だんだん虚しくなってきて、なんとなく小声になってきてしまう。ここまでわざわざやって来た俺の努力、いやそもそもの原因について、奴は思い当たらないのだろうか──ええい、馬鹿らしい。時間の無駄だ。時は金なり、と古代の賢人も言っていた。行動あるのみ。

 俺は肩のホックをはずすと、自由になったマントを机上にばさっと広げた。テーブルクロスの要領だ。ただし、堆積物のせいで平らとは言い難かった机からは、風圧でまた何十枚かの紙片が雪のように散っていった。

 さすがに奴の手が止まる。ペンの先から、濃紺のインクがぽたりと俺のマントに滴り落ちた。ラベンダー色のマントに滲むインク。思ったよりは絵になっている。

「これは……何かの冗談か?」

 すっきりと整った顎が、初めてちゃんと俺のほうを向いた。

「ああ。クリーニング代なら気にしなくていい。俺、最低でも衛星一個単位からじゃないと受け取らない主義だし」

「いや、そういう問題じゃないだろう」

 明らかに苦々しい表情で、メフィストは自身の膝まで垂れたマントの裾をつまみ上げた。そのまま、くるりと裏返して机の上からこの障害物をどけようと──

「待った!」叫んで、机の端に手を突く。ここまでの労力を無駄にはさせない。

 互いの手の間で、マントが裂けんばかりにぴんと張りつめた。二次元の綱引きといった様相だ。

 さすがにマントに破れ目まで作っては悪いと思ったのか、メフィストの力が一瞬緩む。俺はこの機を見逃さなかった。片手を離して身を反転させると、空いた分のスペース、つまり、マントがかかったままの机に腰を下ろす。

「……降りろ」

 怒気を含んだ声で、メフィストはマントをぐいぐいと引っ張った。だがさすがに、大人一人の体重をひっくり返すには無理がある。俺は口笛を吹きながら、しばし奴が孤軍奮闘する様をを眺めていた。

 そして、網膜に映し出されている幾つかのアイコンの中から、あるサービスを呼び出した。

<通話記録参照/ユーザー名/マクベス・ダナエ>

《プライベート情報に接触します。認証を行ってください》

 続いて、虹彩などの固有識別パターンを合計三十種ほど送る。

《認証しました。マクベス・ダナエ様の通話記録を再生します。該当日、もしくは通話ナンバーを入力してください》

<一時間前/発信先/メフィスト・カカオマス。重要度レベル4、準緊急。ロック解除指定。音声をこちらに流せ>──同時に、仮想キーボードに指を踊らせて、解除のためのパスワードを入力した。

「……マクベス?」

 宙に数秒目を泳がせた俺を不審に思ったのか、メフィストが話しかけてきた瞬間、ハウリングしたかのように『……マクベス?』という声が部屋中に響き渡った。



『……マクベス?』

『ああ、メフィストか。どうした? しばらく王宮に顔を出してなくて済まなかったな』

『構わない。お前はもう執政官でもないんだからな。こっちのことは気にせず、ゆっくり過ごしてくれ』

『冷たいな。たまには俺に頼ってくれても構わないんだぜ?』

『今のところは大丈夫だ。それに私一人で国を支えられるようにならなくては、父上も安心して王位を譲れまい』

『で、用は?』

 俺の問いかけの後、しばらくホワイトノイズだけが流れていた。何事にも無駄な気を使うこいつのことだ、連絡してきたかと思えば、本当にそれを言っていいものか、いちいち迷っているのだろう。

『あ、ミサイルの調子はどうだ?』

 一応、こっちも気を使ってまず無難な話題を振ってみる。俺もメフィストも、ミサイリストの端くれだ。かの「悪魔のミサイル」までとはいかずとも、パイプを一振りすれば星を幾つか消し飛ばせる程度にはとっくに成長していた。だがミサイリストたる者、地道なミサイルの育成と改良を決して怠ってはならない──とは、ノーストリリアの書にも記されている心構えである。

『……悪くはないな。例の竹原回路の改良版で、成長率がかなり上がるようになった』

『そうか。それは何よりだ。俺のほうのミサイルも、凶暴さが結構いいところまで来てるしな』

「うん……」メフィストの返事は、回線がどうにかなってしまったのではないかと思うほど、消え入りそうなものだった。おいおい、一体何があったっていうんだ?

『──そうだ。エリスは元気か?』

 何気なく二番目の助け船を出したつもりが、これが地雷だったらしい。今の世の装置にあるまじきノイズを撒き散らして、通信は突然中断した。



《再生終了しました。リピートする場合は信号を……》

 回りくどいマニュアルの読み上げを打ち切らせると、俺はメフィストの顔をじっと見つめる。案の定、向こうの視線は怪しく彷徨っていた。おまけに、普段は大理石のような質感を崩すことのない白い頬が、隠しようがないほど真っ赤に染まっている。

 さて、ようやく本題に入れそうだ。

「──なあ、エリスは? 彼女はどうしてる?」

 あの通信が打ち切られてから五分後には、俺は既にエウテルペ王宮に参上していた。 早速顔見知りの女官を何人か捕まえ、エリスとメフィストの間に何かあったのか聞き出そうとしたのだが、大した情報は得られなかった。肝心のエリスの居場所もわからなかった──のは、よくあることだ(ヒルトン炭坑にでも行っているのかもしれない)。

 こうなれば、やはり直接確かめたくなるのが人情だろう。

 メフィストの頬にそっと手を伸ばす。触れた指先から、驚くほどの熱が伝わってきた。皮膚の下で、火山が噴火してマグマが煮えたぎっているんじゃないかと思えるほどに。うかつに人に触れられようものなら「無礼者!」と手を払うのが奴の流儀のはずなのに(特に相手が俺の場合はだ)それもない。

 このまま頬をつねったり何だりするのも面白そうだと思いかけたところで──さすがに観念したのか、メフィストが口を開きかけた。ただし「もう触るな」という無言のメッセージも放射してきたので、渋々俺は手を引っこめる。

「まあ、その……エ、エリスの事なんだが……」

 エリス、という固有名詞を自ら口にしただけで、赤い領域はみるみるうちにメフィストの首まで広がった。

「……うん、ええと……つまり…………昨日、申し込みを」

「え?」



「──結婚する。エリスと」



 第三者がもし見ていたならば、俺の顔はさぞかし見物だったことだろう。道化。そんな単語が脳の片隅を通り過ぎていった。

「……伝えたかったのはそれだけだ。手間を取らせた。じゃあな」

 俺を置き去りにして、メフィストは椅子からゆらりと立ちあがる。いや、照れ臭さを隠したいのは死ぬほどわかるが、一体急にどこへ行こうというのか。どうやらそれは本人もよく決めていなかったらしい。一歩、二歩とふらふら足を踏み出し、三歩目は俺が散らかしてしまった紙片をちょうど良く踏みつけ、そのままずるっと片足が滑り──

 メフィスト、と声が漏れた気がする。反射的に机の側面を蹴って飛び、奴のすぐ側に上手いこと着地して、確かにその細い腕を掴んだところも覚えている。

 ──問題は、この部屋の状況と、俺の行動で加わる振動エネルギーを計算に入れるのを忘れていたことだった。



「──マクベス、大丈夫?」

 優しい手が、俺の肩を揺さぶる。目を開くと、この世のものとは思えないほど美しいものがそこにあった。月光に照らされた鉱物のように、淡く輝く緑色の瞳。すっきりと通った鼻筋の下には、いつもは神秘的な微笑みを浮かばせている──いまはさすがに、心配そうにぎゅっと締まった唇があった。

 声を出そうとすると、体中のあちこちが軋んだ。本の角や背で強く打ったらしい。

 息苦しいと思ったら、さらに胸の上に降り積もった本が、内臓を圧迫している。なになに、『ミサイリスト入門辞典』『常識外の超レッスン・フェンシング新技術!』『銀河系たのしい登山ガイド〜アケローン編〜』……圧死しなくて良かった。第一フェンシングだの登山の本なんて、俺の趣味じゃない。肺の奥まで埃と古書の匂いに浸食されるのを感じつつ、ばさばさと本を体から振り落とす。

「あらエリス、いつの間に帰って……って、ちょっと何なのこれは!」

 威勢のいい女性の声が一つ、この場に交じった。

 化粧っ気のない、やや日に焼けた顔の上にはいつもの眼帯が掛けられている。我らが友、オクタビアンだ。

 状況を整理しよう。大量の本と紙の雪崩に巻き込まれた俺たちは、そのまま扉のほうへ流され、内側からの急激な圧力がかかった古い扉は蝶番がはじけ飛び──つまり結局、廊下中にぶち捲けられた紙屑の中で発見されたというわけだった。一国の王子と元執政官が。

 あのまま部屋の中で埋もれてしまうほうと、どっちがマシだったろうかと考えてみたが、答えは「もう起きたんだからしょうがない」というものだった(俺はかなり徹底した現実主義者である)。

 そうだ、この現実を認めなくてはならない。俺は、左手で彼女──エリスの手を握った。まあ、というようにオクタビアンが眉をひそめている。

「エリス。結婚するそうだな。素晴らしい」

「……ありがとう」恥じらうように、エリスは一瞬目を伏せてから、にっこりと笑い返した。何も口を挟まないところを見ると、オクタビアンは既にこの事を知っていたらしい。この手の話は間違いなく、女性同士のほうが早く伝わるのだろう。俺にまですぐ話さなかったのは、オクタビアンなりの気遣いに違いない。このメンバーの中でただ一人の既婚者ということもあってか、彼女は「そういう部分」にはとりわけ敏感だった。ありがたいが、若干気まずくもある。

 咳込みそうになるのを堪えながら、この場を締めくくることにした。

 残った右手で、強引にもう一人の登場人物を雪崩から引っ張り出す。奴の覆面はどこかへすっ飛び、晒された肌は傷だらけだった。先に本の山に突っ込んだ分、俺よりも傷の数は多い。おまけに完全に気絶している──この幸せ者め! 後でゆっくり手当てしてもらえ。

「──改めて紹介しよう。君の婚約者、メフィスト・カカオマスだ」


◇◇◇

「ほう、そんなエピソードがあったのですか……あのメフィストがね」

 眼鏡の男は、珍しくけらけらと笑った。アルミ箔が擦れ合うような、甲高く奇妙な声だった。俺はぼんやりとそれを聞き流していた。

 エリスへのプロポーズが見事に成功してから、メフィストはやることなすこと上の空だったらしい。俺に通信を入れて急に切ったのも、その後訪ねて行った時、何事もなかったかのように最初ふるまっていたのも──要は全て、混乱から来る行動だったというわけだ。

 あの事件でできた打撲やら擦り傷は、当たり前だがもう残ってはいない。宙に舞う紙、掴んだ腕の細さと熱。些細な部分の記憶だけがやけに鮮やかに焼きついている。

 だからこそ、この場で出て来たのだろう。

 数億年が経過した「今」に。


◆◆◆

 グラスとグラスが上品に触れ合い、王宮奥でのパーティーが礼儀正しく進行していた──のは、せいぜい途中までだった。

 あれから一ヶ月後、エリスとメフィストの婚約を祝う席。とはいえ、集まったメンバーはごく少ない。まだ残っているのは、俺とオクタビアンだけだった。メフィストの父のサイモン・カカオマスは病み上がりということもあってか早々に退席したし、オクタビアンの息子と娘であるトロスとミルテは、珍しく子供らしいことに、途中で眠って脱落した。夫のカルロ・ドンがしょうがなく二人を連れ帰っていった。

「……でね、お色直しのドレスはこっちのほうが……」

 オクタビアンはといえば、エリスと結婚式の衣装についての打ち合わせに夢中である。前から思っていたことだが、この中で一番誰よりも長く生きているのはエリスなのに、彼女自身は末っ子じみたところがあった。ノーストリリアにまつわる数奇な生い立ちのせいもあるのだろうが、こうして見ていてもオクタビアンのほうが姉のようだ。

 実際にシミュレートしたほうが早いと判断したのか、オクタビアンはてきぱきとネットから生地データを呼び出しては、卓の端に仮想展開し始めた。総手編みのレースに幻想的な色調のタフタ、手を滑らせる度に心地よい衣ずれが響くシャンタン、上品に透き通ったオーガンジー。花の香りが漂ってくるのではないかというような光景だった。

「うーん、そうね。でもこの色だとファウスト兄様がなんて言うかしら……いつも注意されるの、お前はあんまり派手に着飾るなって」

 何気ないエリスの一言に、俺とメフィストが──特にメフィストが凍りつく。それはそうだろう、恐らく宇宙最強で最凶の『お兄様』。いや、エリスと結婚したらさらにランクアップされて『お義兄様』になってしまうのか。これは嫌だ。

 無粋だとわかってはいるものの、女性陣の会話に思わず口を挟む。

「えーとその、あいつ……じゃなかった、ファウストは見つかったのか?」

「いえ、まだなの」困ったようにエリスが答えた。オクタビアンがその後を続ける。

「そうなのよね。ステフもいないから、あの二人で宇宙のどこかを好き放題に飛び回っているんでしょう。まあ、きっと式までには帰ってくるわよ」

「うん、そうだといいんだけど。じゃなかったら延期しなきゃダメね……兄様抜きで結婚式まで挙げたっていうことになったら、絶対後から怒られちゃう」

 和やかな会話のようでいて、実際にその「怒られる」が本当になってしまったとしたら、宇宙が消し飛ぶかもしれないのだからすごいスケールだ。帰ってきて欲しいような、欲しくないような。そもそもあの『お兄様』が、最愛の妹の結婚をた易く許すはずはない。

 隣のメフィストの顔色がさきほどからあまり冴えないのも、そのせいに違いない──と、思い込んでいたのは俺の落ち度である。

 ごん、と鈍い音が響いた。横を向くと、メフィストが卓上に沈没していた。手に持っていたはずのグラスは倒れ、真っ白なテーブルクロスに葡萄酒の巨大な染みが形成されつつある。横には、見事に空になった酒瓶が複数。俺の手元にあったはずのものもなぜか含まれた。

 おい、いつの間にこんなに飲みやがったんだ、こいつは!

「……大変!」

 オクタビアンとエリスが同時に立ち上がった時には、既に遅かった。



「──まったく、マリッジブルーってやつならもっと後にして欲しいもんだな」

「しっ、静かに! 見つかるわよ!」

 何が悲しいって、慣れ親しんだこの王宮で、こそこそとメフィストを寝室まで連れて帰るというこの顛末。この前の「王子、乱心の末に元執政官と本の山に埋もれて心中しそうになる」事件に加えて「王子、婚約パーティー中に泥酔」ということまで宮中に知れ渡るのは体面が悪い。オクタビアンの判断はもっともだった。

「でもなあ……」長い廊下を行き交う衛兵の鋭い視線から逃れて柱の陰に素早く隠れること数回目、俺は深々とため息をついた。首筋に、思い切り酒臭い吐息が当たる──この呑気に酔い潰れている、ぐんにゃりした「お荷物」に肩を貸し、半ば引きずるように連れていってやっているのはこの俺だ。そして困ったことに、肝心の寝室の前には別の衛兵がしっかりと居座っていた。

「私がなんとかあの人を引きつけるわ。エリス、なるべく音を立てないように扉を開けてあげて。じゃ、頼んだわよマクベス」

 俺たちがうなずくのを見届けて、オクタビアンは堂々と灯の下へ出て行った。仰天する衛兵と、しばらく何か談判している。やがてオクタビアンと衛兵が連れだって歩き始め、廊下の角を曲がった。今だ!

 エリスが猫のようにしなやかな動きで、寝室の扉を先に開く。続いて俺も、潜り込むようにして寝室へと見事侵入し──天蓋付きのベッドの中に、「お荷物」を放り投げた。

「──任務、完、了……」ベッドの柱にもたれかかると、べったり床に座り込んでしまった。俺だってそこそこ飲んでいるのに、この思わぬ重労働。さすがに息がすっかり上がっていた。一方エリスは、脇のソファの上にメフィストの帽子とマントをきちんと置き直していた。小柄な彼女には、それくらいしか持てるものがなかったのだ。

 さらに、枕元のランプだけをつけた薄暗がりの中で、俺たちは最後の仕上げをしなければならなかった。すなわち、メフィストの靴を脱がせることから始まる「パジャマに着替えさせる」作業。白タイツだの覆面だのがあるせいで、これも相当な労力を必要としたのだが、さっきと違って人目を気にする必要はないのでまだ気は楽だった。

 ようやく全てが終わった頃、窓にこつんと何かがぶつかる音がした。用心しながら外を覗いてみると、真上のバルコニーからロープが垂れ下がっている。オクタビアンの仕業だろう。というか、「ここから出て行く」段取りまで考える余裕はなかったので、正直助かった。

「それじゃ、俺はここで……」

 戸惑ったように付いてこようとするエリスを、強引に押しとどめてソファに座らせる。

「誰か一人は残っていたほうがいい。お前はメフィストの婚約者なんだから、一番怪しまれないだろう。周りには『王子は風邪気味で、昨日はとても早く寝室に入った』とでも言っておくから、適当に介抱しておいてくれ。後で二日酔いの薬を届けさせる」

「……ごめんなさいね、役立たずで……」

「謝ることなんて何もない。あの場でメフィストのことを一番ちゃんと見てなきゃならなかったのは俺なんだし──責任はある」

「でも、ほら。こないだのこともあるでしょう。貴方には迷惑のかけっぱなし」

「ああ、ありゃあ……名誉の負傷っていうやつだな。一応これでも元執政官。エウテルペの平和を守れるのなら、何でもするさ」

 その時、俺の胸中を流れていたとある感情にも、エリスはとうの昔に気が付いていたはずだった。だが俺たちは──いや、俺は、それをついに言葉にする機会に恵まれなかった。運の悪い道化だ。

「……ありがとう。おやすみなさい、マクベス」

 少しかすれた声でエリスが再び囁いた。全てを投げ打ちたい衝動を押しとどめるような、不思議な魔力に満ちた声音だった。

 俺は何も言わずにバルコニーへ出ていく。冷たい夜風が頬に心地よい。垂れたロープの端を掴む前に、室内に佇んでこちらを見つめている小柄な影──未来のエウテルペ妃に向かって、深々と一礼した。



 誰が悪いわけでもない。これが、決定された現実だったのだ。


◇◇◇

「──転送完了だ、M」

 豪華な宇宙船の中で、眼鏡の男──ヴィヴァルディ竹原はにやりと笑うと、手際良く俺の体からコードを取り外した。

 両手と両足に力を込め、思い切り体を伸ばしてみる。ずいぶん久しぶりの感触だった。機械の体では──とりわけ竹原デザインの、手も足も無い機械の体では絶対に無理な行為だ。

「いやあ、思いがけなく、興味深いものを見せてもらったよ。他人の記憶を覗き見する趣味はあまりないんだがね」

 転送中の「今」のことはあまり覚えていなかったのだが、過去のどこを見られたのかはすぐに思い当たった。俺の殺気を感じたのか、竹原は焦ったように「……こっちはどうする?」と、空になった機械体を指差す。

「別に不要だ。好きにしてくれ」

「そうか。じゃあ一応取っておこう。何かの役に立つかもしれん」

 ……そんな時がいつ来るのだろうか。まあ、科学に魂を売り渡した狡猾なこの男なら、決して無駄にはしないだろう。

 思い出す。エリス──メフィスト──オクタビアン、滅びた国々と星々……あれからの全ての「今」までの出来事を。おぞましく、血に塗れた歴史。

 新しい俺の体も、記憶を通してそれらと間違いなく繋がっている。転送時の過負荷対策のための記憶消去処理を一切受けなかったのは、俺の覚悟でもあった。そのせいで竹原に、文字通り──「天文学的な」金を払うことになっても。

「M、君はこれからどうする? 追加サービスとして、好きな星で降ろすこともできるが」

「──オクタビアンの息子、あの若いミサイリスト君はどうなった?」

「ああ。あの子なら木星収容所だな。ガニュメートという女に相当絞られているそうだよ」

 なら木星付近で適当に下ろしてくれ、と言うと、竹原は鼻歌まじりに方向パネルを操作し始めた。

 新しい体に完全に馴染むまでは、まだ長い時間がかかるだろう。自分の記憶の荒野とこの宇宙を並行して彷徨いながら、まずそれまでを耐えようと思った。機械の体が犯した罪の記憶も引き継いで。「罪」から逃れられる存在など、あってはならない。なあ、そうだろう──メフィスト。

 真正面に放られた空の機械体は、まどろむような表情で中途半端に口を開いたままだった。E──"ELICE"の頭文字を発音しかけてやめたに違いないその顔は、殴りつけたいほど幸せそうに見えた。



The End.      









◆あとがき

 2010年10月10日、AMプチオンリーで頒布された、Eさんのご本『AM本』に寄稿したものです。

 特にEさんのほうから「これ」という指定はなかったのですけど、Eさんといえばマクメフィなので、マクメフィを目指して書いた……結果がこれだよ!/(^o^)\ マクベス×エリス寄りのお話になってしまいました。どうしてこうなった。

 最後の竹原博士とのやりとりに関しては、ご質問も頂いたのですが、『ストスペ』前ということで合ってます。『ミサ』で機械の体になってたマクベスが『ストスペ』で人間の形状に戻ってるからには「やはりここの間にも竹原博士が絡んでいるに違いない」と思って書いてみました。『ストスペ』のMがやたらと丁寧な言葉遣いだったり人格変わってるのも、肉体を換えた影響があるんじゃないかと思います。たぶん

 この辺の時代の最大の謎は、「なんでエリスはメフィストを選んだのか」ってことですね。マクベスは好きになった人に対しては「押し」が容赦なさそうなので、逆に控え目なメフィストのほうになんか惹かれちゃったとかそんな理由なんじゃないかと私は勝手に思ってますが(ひどい)。

 マクベスも後には、マクロス&ビンティカの母親やジルの母親(ゴート皇帝の妻)と付き合っていた時代があるはずなので、恋愛運・家族運という意味ではメフィストよりついてる面もあると思います。でもマクベスが付き合った女性ってグラフィックがゲーム内で出てきたこともないし、名前もわからないので気になるところですね。



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