七つ目の星が昇るまで

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 丘の斜面に寝転がり、俺はあいつを待ち続けていた。

「ふわあ……あぁ」

 何万回目かになるであろう欠伸をすると、冷えた夜風と芳しい草の匂いがブレンドされた空気が、肺の隅々まで染みとおる。まるで、極上の酒を味わっているかのようだ。

 アケローンの空気は清い。ノーストリリア科学の残滓が、ここの環境をまだ守っていてくれているのかもしれない。

 ノーストリリアの支配下にあるものは、環境だけではない。一億年に一度ずつ選ばれた者たちは、様々な力を手に入れた。例えば不老。例えば、卓越した戦闘能力。そしてさらに、あいつと俺は──

 これも何万回目かになるであろう寝返りを打ちかけた時、ずる、ずる、と引きずるような、不規則な振動が背骨に響いてきた。誰かの足音。

 反射的に起き上がると、丘のふもとにあいつが立っていた。予想通りに。三十歩ほどの距離を置いて、あいつはそのまま動かない。パラフィンで固められたかのように、手も足も止まったままだ。道化師じみたデザインの青い服と帽子は、ところどころ黒い煤にまみれている。青ざめた顔の中で、瞳は動かない。呆然としているのか、何も考えていないのかもわからないまま、ただこちらを見ている。

 思わず、俺は走り出していた。草を踏み散らし、足が勝手にあいつの元へ向かっている。

「──メフィスト!」

 名を呼び、肩を軽く叩いただけ──のつもりだったのだが、指先を触れただけで、あいつの身体はあっけなく後ろへ倒れた。慣性の法則というやつで、俺も一緒に転がって。勢い、組み敷くような形になってしまった。互いの身体の下で潰された草から、青く冷たい香りが立ち上る。

 その時初めて、メフィストの身体から、いがらっぽい異臭がしているのに気がついた。アケローンのこの空気の中では、なおさら鼻につくものだ。ああそうか、汚れた空気が充満した世界──

「夜世界、か」

「……せか、い……」

 俺がつぶやいた単語を、メフィストの唇が弱々しくなぞる。瞳に少しだけ、生気が戻ってきたようだ。恐らくさきほどまで、一種のショック状態だったのだろう。

「ああ。マクベ、スか……ナイ、トinナイツ……夜の騎士、リ……」

 言いかけて、メフィストは何度かごふりと咳き込んだ。まだ肺の中に塵の固まりが残っているような、嫌な咳だった。超人的な身体能力を持つスペシャリストと言えども、あちらの空気は堪えたと見える。俺なら絶対、行きたくはない。

 俺はそっと起き上がると、寝転がったメフィストの横に改めて座りなおした。天には無数の星──しかしあちらの世界では、星の光は塵に遮られ、ここまで見事な夜空は見られないのかもしれないな、とふと思う。

「リ、リリウスを……殺した……」

 それだけを言い終えると、メフィストは目をつぶり、胎児のように身を丸めてまた何度か咳こむ。そのはずみで、奴の帽子がばさりと転がり落ち、金色の髪が露になった。髪のところどころに黒ずんだものが付着しているのを、俺は見た。血だ。地面に落ちた帽子に目をやれば、片方の房が取れそうになっている。

──長いことアケローンをほっぽってどこへ出かけていたかと思えば、夜世界ときたか。俺が待ちくたびれてしまうのも当然だ。



──想像する。

 夜の騎士と対峙するメフィスト。腕は互角だ。そうでなければスペシャリストでないし、そうでなければ夜世界の守護者ではない。

 騎士──リリウスの鋭い突きは、メフィストの頚動脈を寸分違わず狙う。しかしそれは僅差で避けられ、メフィストの帽子が身代わりとなって王宮の床に落ちる。刹那、リリウスの視線がそちらに向かう。

 そして。

 リリウスの胸に突き立てられた剣。灰色に変色してゆくその唇からは、いくつかの言葉の後に血が吐き出され──メフィストの髪へも降りかかる。夜の騎士は、ゆっくりと床へと崩れ落ちた。

 王宮は、既に炎に包まれている。この世界は崩壊する。

 剣の血を拭って鞘に収め、帽子を拾い上げると、メフィストはさらなる深所へ歩んでゆく。



「──解放したのか?」

 夢想から覚めて語りかけると、メフィストはこくりとうなずいた。まだ、丸まった姿勢のままだ。

「夜世界の封印は解かれた。ポセイドンは、元人格に吸収される」

「つまり、またあのストーカー野郎がこっちに出てくるってわけか……あーあ」

 今さら言ってもしょうがないことだが、まったく毎回、事前に相談して欲しいとは思う。後始末をするのが、お前一人じゃない──ということを、何度言い聞かせてきたことか。

「どうするんだよ? エリスの『お兄様』は、お前の首を真っ先に狙ってくるぞ」

 あの凶悪な視線と、隆々と発達した腹筋の主を思い出し、俺は深いため息をついた。次元をも動かす力を持つ男、ファウスト。妹のエリスはメフィストの元へ嫁ぎ、エウテルペ戦争の時に死んだ。憎悪に憑かれたメフィストが放った「悪魔のミサイル」を止めるために──宇宙の崩壊を救うために、彼女はその身を捧げたのだ。

「ファウストが俺を討つというのなら、応えよう。そのための解放だ」

「お前馬鹿か! わざわざ死にに行くつもりなのかよ!」

「さて。死ぬかどうかは、やってみなければわからない」

 メフィストは、ここで初めて弱々しい笑みを作ってみせた。なんて奴だ。真正面から、あのファウストとやり合うつもりでいるらしい。

「愛する者を失って、復讐したいと思うのは当然の感情だ。だが、ファウストにはその機会すら与えられなかった……」

 また何度か嫌な咳をしながら、メフィストは押し黙ってしまった。その細い首からは、あのパイプが提げられている。不思議な光沢を放つ、未知の物質で創られた伝説の品。宇宙を生み出す……あるいは滅ぼすエネルギーを持った、ノーストリリアの力の象徴。しかし。

「……メフィスト。わかってるだろうな。”オクタビーの褒美”を受けた者の定めを」

 ちらりとこっちを見ると、奴は黙ってうなずいた。そうだ、俺たちのように”オクタビーの褒美”を得て、あの力の欠片を受け継いだ者も無敵ではない。なぜならファウストに宿るのもノーストリリアの力そのもの。しかも、こっちとは比べ物にならないほど莫大な量の、だ。真正面からぶつかり合えば、弾き飛ばされるだけ。

 つまり……

 メフィストが勝つ道は、最初から封じられている──

「ただし、一つだけ可能性がある」

 こちらの心を見透かしたかのようにつぶやくと、メフィストの視線は、さっきの夜空へと向かった。次に出てきた単語は、さらに俺を絶句させるものだった。

「……ノーザンバランド」

「はあ?」

「ノーストリリアに唯一対抗できるのは、ノーザンバランドの力だ。あそこはとっくに滅びたなどと、諸説あるのは知っている。でも、『滅びた』という確固たる証拠を掴んだ者は誰一人としていない。もしまだ、あの遺産がどこかに眠っているとすれば、あるいは……」

 もう一度「馬鹿」という気にもなれなかった。ノーザンバランドの何かが残っていて、メフィストがそれを、しかもファウストとの戦いの前に見つけられるかなんて。

「きっと、無理だと思っているんだろう」

「……ああ、そうだな。俺たちが何十億年間、宇宙を駆けずり回ってきたと思う? その間にだって、あの文明の欠片は一つも見つかりはしなかった。あれは我らが友オクタビアンにも、かの『お兄様』でさえ手の届かぬ領域のものだ。そんな代物が都合よく、お前の前に今現れるかだと? 思い上がりもいい加減に止めたらどうだ」

 俺が一気に放った言葉の洪水を受け止めるメフィストの顔には、諦観とも取れる微笑が浮かんでいた。悲しみの歴史を塗り替えることができなかった者が持つ、あの表情。

 頭脳をフル回転させ、こいつの苦境をどうにかするためのアイディアを練る。やがてかちりと、頭の中でパズルのピースが組み合わせる音がした。そうだ、ちょうどいいものがある。俺は、ポケットをまさぐって『あれ』を取り出した。特殊な金属にヴィオラを象った彫刻が施された、試験管サイズの細長い筒。ねじ蓋を開いて中身が入っていることを確かめると、寝ているメフィストの口にそのまま注ぎ込むことに──

「ま、待て! 何をする気だ!」

 がばっとメフィストは起き上がり、数十センチ後ろに後ずさった。ご丁寧に剣の柄にまで手をかけている。そんなに怖がることも……まあ、当然か。何しろ目の前にいるのは、この俺だ。お前の計画の枠外に立たされている、仲間はずれのマクベス様だ。もっともその悲しい状況を、今変えようとしているわけだが。

「いいから、大人しく飲め。変なものじゃない。俺特製の薬入りカクテルだ」

「……俺を眠らせたり、痺れさせたりして、それがお前の何の得になる」

 やれやれ、どうやら俺は心底信用されていないらしい。大体、眠らせたり痺れさせたりって、それじゃ俺は犯罪者じゃないか──そんなこそこそした手口は、俺には似合わない。今までに犯した罪はといえば、せいぜいミサイルで星々を破壊したり、数名の愛する者の命を巻き込んでこいつと本気で殺しあったりしたことくらいだ。いや、こう書くと本当にろくでもない関係だな、俺たちは。

 しかし、そういう血と罪に塗れた歴史と比べれば、これから行うことなんて、まあまあ許される範囲だろう──我らが友、超越者にして偉大なる女王オクタビアンにも、きっと。

「聞け、メフィスト。オクタビアンは間もなく、夜世界の崩壊に気づく。お前の企みにもな。となると、彼女がお前をそのまま放置しておくと思うのか?」

 はっと虚を突かれて、メフィストの視線がしばし揺らめいた。ほら、思ったとおり。こいつは徹底的に、何事も自分だけで抱えこんだあげく、一人で解決しようとしてしまう。その結果、周りの貴重な友人の心情は置き去りにして。

「さて、どうする? 城の奥深くに幽閉されて、ファウストが来るのを待つというのか? オクタビアンはあらゆる手段を駆使して、ファウストとお前を絶対に会わせないようにするだろう」

 そんなことは……と言いたそうに、メフィストは強く唇を噛みしめている。同時に、その未来から逃れる術が自分にはないことも悟ったようだった。この宇宙のどこへ逃げたとしても、オクタビアンとゴート機構の包囲網にかかれば、その辺の小鳥を一羽捕まえるのと大差ない手間だ。

「それでも、お前がノーザンバランドというさっきの夢物語を捨てないというのなら。俺が一つ、とっておきの策を授けよう」

 観念したのか、メフィストは俺の目をじっと見つめた。ルビーレッドの瞳が、あの頃──何十億年も前、互いにミサイルを作っては撃ちまくっていた時のように輝いている。ようやく、本気モードに切り替わってくれたようだ。

「よし。じゃあ、これを飲め」

 さっきの金属筒を、蓋を開いて押し付ける。メフィストは、ニ、三秒のためらいの後、恐る恐る中身に口をつけた。白い喉が数度、ひくりと動いた。

「……あまり、美味しくはないな」

「良薬口に苦しって言うだろ? そんなもんさ」

「それで次は、何をさせる気だ。さあ、お前の秘策とやらを、じっくり聞かせてもらおうか」

 おやおや、皮肉な口調まで本気モードに戻ってきたらしい──どうやっても、口では俺に勝てるはずもないのだが、せめてもの一石といったところだろう。何十億年経っても、変わらない癖だ。そう、そのお前の『変わらない』ところを、これから崩す。

「メフィスト。お前はこれからすぐ、ゴート機構に迎え。以上」

「え?」

「聞こえなかったのか? ならもう一度……うおっ!」

 俺の目の前数センチに、ぴたりと剣先が突きつけられていた。

「──なんの冗談だ」

 剣の主の顔は憤怒の色に染まり、瞳は爆発寸前といったところまでぎらついている。おっと、これはかなり危ないかもしれない。

「さっきお前は、確かに言ったな。策を授けると。それが、変な薬を飲ませて、俺をオクタビアンの元へ突き出すということだったのか? まさか、また──」

 一瞬瞳を逸らし、メフィストは眉間に皺を寄せた。何かがおかしい、という風に。続いて剣をそっと鞘に収めると、俺のことなど忘れてしまったかのように、黙って己の両の手のひらをじっと見つめている。指先が、微かに震えていた。

「……効いた、ようだな」

 俺はにやりと笑った。強張ったメフィストの腕を引き寄せ、脈を計る。少しだけ早いくらいで、後は異常なし。うまく作用しているようだ。メフィストは抵抗もせずに、ただこの出来事を必死に理解しようと務めているようだった。

 輝く瞳、金色の髪に整った顔。一見、なにひとつ変わったところはないように思える。だが俺の頭の中の一部が、ある違和感を捉えていた。うん、俺にさえこう感じさせるのなら文句ない。

「まるで、俺が、俺でないような……」

 メフィストは、我が身を確かめるように拳を握ったり開いたりしていた。その通り。今のこいつは、メフィストであってメフィストではない。

「心配するな。お前のごくごく微小な部分を、ナノマシンで書き換えているだけだ。スペシャリストのメフィストという奴と、よく似てはいるけれど別の人間だ──と錯覚させる程度にな。効果は一時的なもので、ナノマシンは数ヶ月程度で分解・吸収される」

「副作用は……?」

 不安そうにつぶやくメフィスト。

「んー、俺が前に自分で試した感触だと、あんまり油断していると暴走して、書き換えがさらに起きかねないな。考えられるうちの最悪の展開だと、性別が変わるくらいのデータ上書きの可能性もあるから、アイデンティティ境界の保持に気をつけ──」

「……悪い冗談はよせ!」

 本当のことを告げただけなのに、またさっきの恐ろしい目で睨まれた。まあ、こいつくらいの強固な自我の持ち主だったらそういうことにはならないだろう。たぶん。昔、俺が身分を隠して一人旅をしていた時に何度か使ってみたものだが、その時も大丈夫だったことだし。

「それでだ。この状態なら、誰もお前をお前だと正常には認識できない──ここまで来れば、俺がさっき言ったことの意味がわかるな?」

 ああ、と驚きにメフィストの唇が薄く開かれた。

「つまりオクタビアンも、というわけか。なるほど。この姿なら、ゴート機構に俺が行っても……」

「そうだ。オクタビアンもゴート機構も、まさか自分達の懐の中に、探しているお前が既にいるとは思うまい。運が良ければ、ファウストの情報を得るチャンスもあるかもしれないしな」

 それにゴート機構は、意外なほどよそ者の受け入れには寛容だ。能力が認められれば、中枢部に潜り込むことも難しくはない。上層部の七賢者も、そうして時代と共に入れ替わってきたのだから。

「ただし」

 俺は、最後の助言を与える。

「せめて、身なりも少しは変えろ。ここは情報が隔絶された夜世界じゃない。その格好のままなら、顔を見ずとも誰だか宣伝して歩いているようなもんだ。覆面も忘れるなよ。せっかく俺がここまで手助けしてやったんだから、リスクはなるべく少なく頼む」

「……ああ、わかってる……」

 だるそうに言ってまた丘に身を横たえると、メフィストはそっと目を閉じた。そして、数秒後に聞こえてきたものは、安らかなリズムの寝息。ここで呑気に寝ている場合ではないというのに、よほど疲れが身に沁みていたらしい。

 まあいい、しばらく安らかに眠れ。数十億年来の俺の友、あるいは俺の敵──そんなありきたりな言葉では説明のつかない、俺の何かであるところのメフィスト・カカオマス。アケローンの夜が明けて空を太陽が巡り、再び星がいくつか昇り始めるくらいの間なら、見張りを勤めてやるとするか。

 しばらくの間、ぼんやりと夜空を見つめた。星が一つ流れた時にかけた誓いは、宇宙が終わるまで秘密にしておくとしよう。なに、そんなに遠い話ではない。絶対に。

「おやすみ、メフィスト」

 静かに声をかけると、俺はメフィストの側へ寝転がった。崩壊したあの世界のように、この夜が永遠に続けばいいのにとも思いながら。



The End.      









◆あとがき

 『ナイトinナイツ』シリーズを全部クリアしたのが去年の夏でした。いやーいいですよねあの世界観。その後、いつもお世話になっている数学屋さんの二次創作でリリウスVSメフィスト設定のものを拝見し、萌えというか燃えすぎて突発的に書いたメモを元にしたものが拙作です。

 『ナイトinナイツ3』の主人公は作中では明らかになっていないのですが、RS7の冒頭で「リリウス殺害はメフィストが行った」ということが出ているので、仮に『ナイトinナイツ3』がメフィストの話だとしてもそんなに矛盾はないのではと思います。いや本当はどうかわかんないですけど。

 一応、私がRS7で疑問に思った点を軽く消化していたりもします。つまり、目の前にいるのにレッドクロスの正体に気がついてないオクタビアン様の謎です。覆面してるとはいえ、数十億年の付き合いの友人に気がつかないなんて(しかもオクタビアン様がなんて)ちょっとありえないかなーと思ったりして。すいません。

 で、その結論として出てきたのが、マクベスお手製の何かを飲ませるです。メフィストはそういう細かいところにうとそうな気がするので。やっぱりそういう策略はマクベスのほうが似合うなあ、という。ナノマシンが作動してもマクベスがメフィストのことをメフィストだと認識できているのは、変化をその場で見ていた者のみに許された特権って感じでご都合主義的に解釈願います(ひどい)

 ……そういえば、マクベスとメフィストの会話自体、書くのが初めてでした。ゲーム内でほとんど会話することもない二人なので、どういう口調なのか全然わかってません。たぶん色々間違っている。あと、今回はサービスシーンらしいもの(例:二人で丘に倒れる、脈を取るなど)を入れてみました。全年齢の限界だとこんなんです。ていうか全年齢しか書けないので、自分の限界がこんなんです。もっと濃いマクメフィを期待していた方はほんとすいません。



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