緑の丘の邂逅

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 丘の少し下方で見張りを続けていた部下の「不滅の人」が、はっと身じろぎした。はるか下から、誰かが登ってくるようだった。

「どうしましょう? 移動なさいますか?」

 人工眼の視野を30倍に拡大させ、その人物の像を読み取る。データベースにかけるまでもない、懐かしいシルエットだった。

「いや。ここでいい。お前はそこに控えていろ──あの方だ」

「はっ」

 客人の正体に気づいたのだろう。「不滅の人」は、いつになく緊張した面持ちで膝をついた。

「──いい夜ね」

 俺の前まで登り終えると、彼女はチャーミングな片目をこちらへ向けた。豊かな長い髪の毛を簡素に束ねただけの、飾りっ気のまったくないスタイル。夜風を凌ぐためか、珍しくマントのようなものを羽織っている。知らぬ者が見たならば、まさか彼女がかの「薔薇の騎士」だったとは、夢にも思うまい。

「いい夜だ、と、今日のところは言っておこうか。オクタビアン。あなたが直々に俺のところにまで来たのは、どうしてです?」

「相変わらずね、M」

 オクタビアンは、我が子をあやすかのように笑ってみせた。

「絶えて人の来ることもなかったこの丘に、懐かしい人たちが集まっている──それだけで、いい夜なのよ。私にとっては、だけど」

「集まったのではなく、集めたのだろう? あなたと、あなたの愛しい息子のために」

 オクタビアンは、そっと俺の額へ触れた。かつて俺が人間の体だった時と同じように──誰かを気遣う時の、自然な仕草で。センサーから伝わる彼女の指の温かさは、あの頃と変わらなかった。

「いえ、私は何もしていないわ。あの子が丘でミサイルを作り始めてから、何かに呼ばれたように次々と誰かがやってくるの。M、あなたのように」

「では──オクタビアン、あなた自身は何を考えている?」

 彼女は答えない。黙って夜風に吹かれたまま、こちらを見つめている。束ねた髪が風にかすかに揺れているだけで、彼女の表情は何一つ変わらない。


「俺は、エリ・シシを殺す」


 かたわらの「不滅の人」の脳内を、緊張のパルスが走り抜けたのがわかった。まさか俺が一気にこのことを喋るとは思っていなかったのだろう。

 オクタビアンは、何も発しない。となると──

「やっぱりな。全てお見通し、というわけか。しかしそれで、あなたはどうする? 今ここで俺を殺せば、友人を一人失う代わりに、別の友人を救うことができる」

 あいつと、俺と、オクタビアンと──相容れなさを抱えたまま、不思議に繋がっているこの関係。各々が家庭を持ち、時には子供が生まれ、幾万という歳月が過ぎ去ってもなお、因果の流れに終わりはない。

「私はただ──見守るだけ」

 夜風でほんの少し乱れた髪を、彼女はかき上げた。数え切れない命を奪い、あるいは救ってきたその偉大な手で。

「M。私にはもう、何もできない。あなたを殺すですって? 冗談じゃない。それで何かが変わるだなんて思わないでちょうだい。もし、あなたが死んだら……」

 艶やかな唇が、あいつの名前を紡ぐ。



「……も、死ぬわ」



 しばらくの間、丘に吹く風の音だけが辺りを支配していた。

 オクタビアンは、俺から目を逸らすと珍しくため息をついた。だが心拍、体温、脳波ともに大きな変化は見られない。全てを受け入れている者だけがなし得る、ある種の大いなる境地なのかもしれない。

「まったく、困ったものだわ……。本当に、私には何もできない。私はスペシャリストだけれども、ミサイリストではない。エリスの石を受け継ぐ者でもない。どちらかであれば、私の命と引き換えにして、色々なことを終わらせられたのにね」

「エウテルペ戦争のことを、後悔してるのか?」

 オクタビアンは微笑んで、かぶりを振った。

「いいえ。ノーストリリアの力がなければ、救えなかった人がたくさんいるもの。選んだ道を間違ったなんて思ってないわ」

「俺もそうだ。だから、エリ・シシを殺す。エリスのために」

 今度のオクタビアンの微笑みは、さきほどより哀しげなものだった。

 あいつと、俺と、オクタビアンに共通していること──エリスを死なせるという過ちを犯したこと。エリスのあの英雄的な行動で、悪魔のミサイルから無数の命が救われたのだとしても。それが彼女の、心からの望みだったのだとしても。

 エリスは、あの時死ぬべきではなかった。

 同時にあいつは、エリスの生まれ変わり──エリ・シシを追ってはならなかったのだ。なぜかって? 答えは簡単だ。エリ・シシは「受け継ぐ者」には違いないが、俺たちのあの「エリス」じゃない。彼女という存在そのものは、二度と蘇らない。エリスの幻影に憑かれているのは、あいつだけだ。

「……皮肉なものね」

 オクタビアンがつぶやいた。

「エリスを死なせてしまった罪を償うために、私は息子をミサイリストにしなければならなかった。そして、あなたがエリ・シシを殺すのを見過ごさなければならない。ミサイリストには、哀しみが必要だから。こんなことで……母親と呼べるのかしらね?」

 風は、いっそう冷たさを増してきたようだった。

 オクタビアンは、丘の上へと目をやった。頂上にそびえ立つ影は鋭く長く、空を切り裂けそうな大きさに成長していた。

「そろそろ行くわ。あの子に、暖かい布を持ってきたの」

 自分の羽織っていたマントの裾を、彼女はひらひらと振ってみせた。これが、せめてもの母親としての気遣いなのだろう。わが身にノーストリリアの力を宿しながら、息子に与えられるものは布一枚──彼女が背負っている哀しみの量は、一体どのくらいのものなのだろう?

「──久しぶりに会えて良かったわ。さよなら、マクベス」

「俺もだ。さよなら、オクタビー」

 軽やかな足取りで、オクタビアンは丘を登り始めた。夜風に押されるようにして、みるみるうちにその姿は遠ざかっていった。

「おい」

 会話の途中から、縮こまるようにして控えていた「不滅の人」に、俺は声をかける。

「はっ、なんでしょう」

「行くぞ。エリ・シシの元へ。けして剣から手を離すな」

「かしこまりました」

 地磁気を利用した動力で、俺の体は滑るように丘を下り始めた。横を、「不滅の人」がぴたりと付いてくる。

 果たしてエリ・シシは一人でいるだろうか? それともあいつが傍らにいるのだろうか? そこまでは、行ってみなければわからない。

 しかしどちらにせよ、俺は目的を成し遂げるだろう。残りの聖戦士も、こちらへ向かっているはずだった。

 そしてあいつは痛む記憶を一つ増やし、俺はあいつの憎悪をまた勝ち取る──想像するだけでぞくぞくするような展開だった。体中の回路が喜びの声を上げ、早く、早く、と相互に干渉しあうのがわかる。

 楽しませてもらうとしよう。新たなるミサイルが星空を翔けるまでの、つかの間の逢瀬を。

 もしあいつに会えたら、なんと言えばいいだろうか。ああ、きっとこうだ。

「愛している、メフィスト」──と。



The End.      









◆あとがき

 一応、全宇宙のマクメフィスキーな方々に捧げるつもりで、生まれて初めて女性向けのつもりで書いたものです。今読み返すと女性向けといっても薄いというか、第一メフィストが出てこないという致命的な過ちを犯していました。まぁそれでも、マクメフィ前提には違いないので、注意書きをつけさせて頂いたわけですが……濃厚なものを期待した方がいたら本当に申し訳ありませんでした。

 それにしても、『ミサ』をプレイし直すと、Mってすごいよねという念が募ってやみません。

 昔愛していた女性の生まれ変わり(しかも少女)を排除してまで、一体彼は何をやりたかったのかなあと。『ミサ』内の台詞を読む限り、メフィストに対する異常な執着心があることは明らかですが、肝心のメフィストがゾンビのような「エリス……エリス……」状態だったりして、M→メフィスト→エリ(エリス)という一方通行な人間関係なのがなんとも。




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