それはまるで、塔のような影だった。
「ご覧。あれが新しいミサイルだ」
私の頭を撫でながら、その人は丘の上を指差す。
「私はもう二度と、ミサイルを作るつもりはない。だが、少しばかりの助言を与えるのも悪くないだろう──私のような過ちを、若きミサイリストに犯して欲しくない」
私達二人はゆっくり丘を登り始める。その人は、優しく手を引いてくれている。
「寒くないかい? かなり風が出てきたからね」
大丈夫、と、私はうなずいてみせた。それでも心配だったのか、「ほら、こうするといい」と、その人は羽織っていたマントの中に私をくるむようにして、再び歩き始めた。過保護すぎる気もしたけれど、明らかに上機嫌な横顔を見ると、何も言えなかった。
「まさか、また君と逢える日が来るなんて思わなかった。愚かすぎる男だ、私は。許してくれとは言えない。でも、私は私なりに償いをするつもりだ。君のためならば、我が身が滅んでも悔いはない。エリスの魂を継ぐ、愛しい人──エリ」
子守唄のように際限なく、愛の言葉が降り注ぐ。
だが私は知っている。
その人は、私の死を止めることはできない。
悲劇は繰り返される。
「お姉ちゃん! しっかりして……お姉ちゃん!」
少女の泣き声で、目が覚めた。ぼやけた視界に、煤けた天井がうっすらと写っている。氷が脊髄に詰めこまれているような、嫌な冷たさ。手足の震えが止まらない。なんとか言葉を絞り出そうとしてみても、ひゅうと細い息が喉から漏れるだけだった。
「落ち着きなさい、プッチーノ。お前は暖炉のまきをもっとくべておくれ。まずは、この人の体を温めることが先決だ」
力強い誰かの腕が私の背中に回ったかと思うと、あっという間に私の体は柔らかいベッドの上にそっと横たえられていた。続いて、手足が暖かい何かに包まれる。お湯に浸してよく絞った布のようだった。その上から丁寧にマッサージをされているうちに、凍りついていた神経が、少しずつ、少しずつ、ほぐされてゆくのがわかった。
「……あ、りがとう、ござい……ます……」
数分のちに、ようやく、それだけを言うことができた。
「無理に喋らなくていい。しばらくうちで、ゆっくり休んでいきなさい」
心からの感謝の意をこめて、私はうなずいた。やっと、周囲の状況が飲みこめかけていた。
そうだった。ここは八ノ地教神官の住まい。手当てをしてくれているのは神官ゲンヤ。いつものようにここを訪れて、ゲンヤのまだ幼い娘プッチーノと遊んでいた時──あれが私を襲ったのだ。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。あたしびっくりして、それで、それで、パパやお兄ちゃんを呼びに行くのを忘れちゃうくらいびっくりして。ごめんなさい……何もできなくて、ごめんなさい」
プッチーノはまだ、泣き続けていた。目の前で私が倒れたのを見て、よほどショックを受けたらしい。よしよし、とゲンヤが娘を抱きしめる。
「パパ……お姉ちゃん、大丈夫なの? 突然顔色が悪くなって、しばらく何も話さなくなって、いきなりばたんって倒れちゃったの。それまではなんともなかったのに。悪い、病気、だったら、どう、し、よ……」
プッチーノの泣き声は、消え入りそうなほどか細いものへ変わっていった。
「大丈夫だよ。見たところ、軽い貧血だけのようだ。倒れた時に頭を打ったりもしていなかったようだし、しばらく安静にして、体を休めれば問題ないだろう。ほら、お前もそろそろ顔を拭いておいで」
神官は、病人や怪我人に接する機会が多い。治癒祈願を頼まれることもあるし、場合によっては秘伝の薬草などで特別な治療を行うからだ。下手な医者より優れた資質を示す者もおり、ゲンヤもそのうちの一人だった。父の言葉を聞いて安心したのか、やっとプッチーノは泣き止んでくれた。
「……エリーゼさん」
プッチーノが顔を洗いに部屋から出て行ったのを見計らうと、ゲンヤは枕元へ近づき、小声で囁きかけてきた。
「娘の手前ああ言いましたが、本当は……何があったのです? 娘は気がついていなかったようだが、あなたが倒れていた時。いつも下げてらっしゃるペンダントの石が、強く光っているように見えたのです」
言われて、胸元に下げているペンダントを探る。手のひらにすっぽり納まるほどの、透き通った美しい緑の石が先端についた品。
「ああ、その石です。でも今は──」
ゲンヤは不思議そうに石を見つめ直した。きらきらと暖炉の火を反射させているだけで、石自体にとりたてて変わったところはない。
だが、私は覚悟を決めた。そろそろ、彼には話しておくべきだと思っていたのだ。
「ゲンヤさん。私に対する噂は、既に聞いておられることと思います」
「そ、それは……しかし、まさか……」
ゲンヤの顔が強張った。無理もない。八ノ地教の神官である彼ならば、余計に信じ難いことだった。経典に記された伝説が、突然目の前に飛び出してきたのだから。
「そうです。私は、エリスの列なり。彼女の魂を継ぐ者。これは、私達が受け継いできたエリスの石。ノーストリリアの超科学が遺した、宇宙創生の石です」
八ノ地教は、ノーストリリアの末裔であるガニメデ・シシを神と呼ぶ。そしてエリスは、ガニメデ・シシの娘。つまり、エリスの生まれ変わりの私は、彼らの神にとても近しい存在──ということになる。
「いいんです、信じてもらえなくても。誰にも信じてもらえませんでしたから」
「……いえ。信じます」
深く息を吸うと、ゲンヤはややかすれた声で喋り始めた。
「あれは単なる噂だと思っていたことは、本当です。私は神官だ。もしあなたを本物の、エリスの列なりだと認めてしまったら──ゴート機構からの風当たりが、余計にひどくなる。そういう卑小な計算もありました」
「でしょうね」
私は笑った。近ごろ、八ノ地教排除の動きはますますひどくなっていた。ゲンヤ一家も、相当にひどい仕打ちを受けていたし、かつてゲンヤを慕っていた信者達は、どんどんゴート機構へ寝返っていった。
──あの緑の髪の女は、おかしな石を下げている。エリス・シシと関係があるとか自称していたが、八ノ地教が苦し紛れにでっち上げた、偽の救世主に違いない。
本当のことを語っただけなのに、周囲はそう誤解し、私は気のふれた女だと思われてそのまま放置された。ゲンヤが親切にしてくれたのは「計算」の他に、同情心と、プッチーノと私が仲良く遊んでいるのを見ていて安心したからなのだろう。
「八ノ地教には、裏経典が存在します。神官しか読むことを許されない、幻の書物。その中に、エリスの石の詳細が記された項目があるのです。さっき私が見た光は、それとまったく同じものでした。これであなたのことを信じなかったら、神官としての私は今度こそ地に堕ちるでしょう」
「──ひとつ言っておきますが、だからといって私を崇め奉る必要はありません」
「……え?」
「私はエリスの列なり。この石はエリスの石。これは真実。でも、私自身はエリーゼという名の、小さな人間。それ以上のものにはなれません。聖なる存在ではない、ただの人です」
「でも、エウテルペの伝説が本当ならば、あなたには力がある。悪魔のミサイルを止める力が!」
ああ──と私は思った。どうして皆、そのことを持ち出すのだろう。ゴート機構のあの女のように。そして、ゲンヤはついに気づいてしまったようだった。みるみるうちに彼の顔から血の気が引いてゆく。
「あ、悪魔のミサイル……? そうだ、つまりあなたが、ここにいるということは……」
ゲンヤは気まずそうに私から視線を逸らすと、「それが御心だというのでしょうか」とだけ、ぽつりとつぶやいた。苦いものを飲みこんだかのような顔つきだった。
「パパ、どうしたの?」
戻ってきたプッチーノが、父の硬い表情を不思議そうに見つめた。
「お顔、綺麗になったわね。さっきはどうもありがとう」
私は上半身を起こすと、プッチーノを抱きしめて頬にキスをした。小さくて優しい、大切な友人。ちょうどそう、かつてのエリ・シシと同じくらいの年頃。
「よかった。お姉ちゃんに何かあったらどうしようって……」
「心配しないで。ほら、もうこんなに元気になったわ」
また泣きそうになるプッチーノを、力強く抱きしめる。
落ち着いた後、ゲンヤから夕食の誘いがあったが、そちらは丁寧に断って、私は彼らの家を発つことにした。日がもうすぐ暮れる。なるべくなら、家に帰っておきたかった。
「今日は、なんといったらいいか……取り乱してすまなかった」
戸口で、ゲンヤが深々と頭を下げた。私は彼の手を包むように握り、「これからも友人でいてください」と囁いた。何度も何度も、彼はうなずいてくれた。
「お姉ちゃん、また来てね!」
「ちぇっ。エリーゼお姉ちゃんが来る日だって知ってたら、もっと早く帰ってきたのに」
相変わらず快活に飛び跳ねながら手を振るプッチーノ。対して、さっき帰ってきたばかりの、プッチーノの兄パーシヴァルはご機嫌斜めのようだった。
「ごめんね、パーシヴァル。また来るから。ね?」
後ろ髪を引かれる想いで、私はゲンヤ一家にさよならと手を振った。そして、町に帰ろうと──
「おっと。森を通っていったほうが早いよ」
見上げると、すぐ側の木の枝に、ちょこんと赤い鳥が止まっている。
「アルフレド!」
ぱたぱたと小さな羽をはばたかせると、伸ばした私の指先に鳥が舞い降りてきた。
「悪いことをした。本当はもっと早くゲンヤの家に向かうつもりだったが、最近、ゴートの包囲網が厳しくなってきていてね。この時間になるまで、うかつに動けなかったんだ」
喋る小さな赤い鳥──アルフレドは、すまなさそうに羽をふるわせた。つぶらな瞳と、紳士的な言葉遣いのギャップがおかしくて、私は彼の言葉を聞くといつもくすくすと笑ってしまうのだった。
アルフレドの好意に甘えて、今日は迷いの森をずんずんと突っ切って帰ることにする。元々森は好きなので、木々の下を歩くのは楽しかった。日暮れ時とあって、時折雨猫やカンギツネの姿が見えたものの、アルフレドが祈祷術を唱えると皆こそこそと逃げていってしまった。
早足で歩きながら、私はアルフレドに今日の出来事を話していった。
「──プッチーノと遊んでいる時、視てしまったの」
「今日? おかしいな。前回から、まだ数日も経っていないんじゃないか? 君があれを視るのは、大体十日に一度の周期だったはずだ」
「段々、周期は早まっているわ。たぶん、時が近づいてきているのでしょうね」
しばらくの間、私が木の枝を踏んでゆく音だけが森の中に響いた。アルフレドは、私の言ったことの意味をじっくり考えているようだった。
「何を視た?」可愛らしくくちばしをぱくぱくさせて、アルフレドが聞いた。
「大した発見はなかったわね。今回はエリ・シシの記憶。メフィストに手を引かれて、エボリが作っているミサイルを見に行くところ。エリスの時もそうだったけれど、エリに対しても彼はとても優しかった」
またかなりの間、沈黙が続いた。遠くから何か獣の咆哮が聞こえてきている。アルフレドは羽を一振りすると、念のために隠形の術を重ね掛けしてくれた。
森の出口は近い。
「ゲンヤには、私の素性を直接話してみたの。石が実際に作動しているところを見たせいもあるけれど、全部信じてくれた。たぶん、あなたの正体を知っても信じてくれると思う」
「ふふ……プッチーノは、私が人間の王子様だって、最初から信じてくれているけどね」
顔を見合わせて、私達は笑った。呪いで鳥に変えられた王子様──おとぎ話のようなシチュエーションだったが、それがアルフレドの正体なのだった。
最後の一歩を踏み出す。薄暗い藪を突っ切ると、町の明かりが点々と見えていた。
「あとは一人でも大丈夫。アルフレド、ありがとう」
アルフレドは、森からあまり離れることはできないのだ。鳥の姿では、本来の彼自身が持つ力は抑えられてしまう。しかし、元々彼が得意としている「樹霊」を使う術なら、森の木々の助けを借りてかなりの威力にまで増幅することができる。「迷いの森」という異名を持つ、この深い森なら隠れ場所としてもうってつけだ。もし町中へ出ようものなら、あっという間にゴート機構の者が彼の姿を見つけてしまうだろう。
「こちらこそ、君の護衛ならいつでも歓迎だ。いつでも呼んでくれたまえ」
「あら。あなたのお姫様はプッチーノでしょう? 浮気はいけないわよ、鳥さん」
「あまり、からかわないでくれ」
照れ隠しなのか、肩を軽くつつくと、赤い鳥は再び森の中へ消えていった。豪奢な寝室で眠るはずの身分の彼が、今は暗い森の中に隠れ住むしかない──ゴート機構が、この星を牛耳っている限り。
やがて町角を曲がり、狭い小路を抜け、やっと私は部屋へ帰りついた。ろくに日も当たらない、狭い一室だが、今の私に借りられるところといったらここしかなかったのだ。
ゲンヤ達にもっと正直に事情を話せば、家の一角を喜んで提供してくれただろう。しかし、私はそこまで甘えるつもりはなかった。あくまで対等な、友人でありたかったから。
そして森を出る前から始まりつつあった頭痛は、いよいよひどくなるばかりだった。埃っぽいベッドになんとか倒れこむと、私はそばの水差しに手を伸ばそうとして──
不器用に動いた腕が、がちゃんと水差しを跳ね飛ばした。視界が狭まり、割れた水差しの破片が飛び散る様が、目に焼きついた。
──これだから「視る」のは──と思ったところで、潮が引くように意識が薄れる。
最後に、全身がまばゆい緑色の光で覆われるのを感じた。
あの石の光に。