瞬く列なり/2

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幻─2

『エリス! なぜ君がここにいる!』

「あなたを止めるため」私は簡潔に答える。

『だめだ……戻ってくれ、エリス! 君を死なせるわけにはいかない!』

 回路全てが叫び声を上げ、懇願するのを感じた。しかしもう、戻る道などないのだ。退路を断ち切らなければ、ここには来れなかった。それほどに、この場を支配する憎悪は深い。

 私はそっと語りかけた。

「あなたは、この未来に満足するの? 宇宙全てを無に還すのが、あなたの復讐だというの?」

 世界が揺らぐ。無数に重ね合わされた宇宙全てを、私は視る。彼が復讐を遂げようとしない未来。私と彼が平和な家庭を築いたまま、終わる未来。逆に、あらゆるものが無に呑みこまれた未来。彼も同じものを視ている。

『……違う……』

 ノイズ交じりに、彼の声が聞こえた。

『私は、君との愛で生涯を終わらせるつもりだった……しかし、憎悪は取り返しのつかないまでに私を蝕んでしまった。だから……作った……』

 少しずつ、話は核心へ差し掛かっている。くれぐれも彼を刺激しすぎないようにしなければ。

「何を作ったの?」

『だから……作った……違う、作っていない! 作ったのが私で、私は私だからわたしを作ってわたしはワタシダカラわたしヲ作ッテワタシを作ッたノがワたシデ──ワタシハワタシダ、間違ッテいナイ!』

 あちこちで、花火のようにスパークが生じた。彼の思考が、ループにはまりこんでしまったらしい。私は、回路のひとつに足を伸ばすと、堂々巡りしている信号の間にぐいっと無理矢理差しこんだ。つんざくような警告音と共に、信号が強制的に遮断される。今の姿だからこそ、できる業だ。本来の右足に当たるだけの情報が消し飛んでしまったけれど、こんなものはまだかすり傷。

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『私は……私はメフィスト……』

 ループから解放された「彼」が、恐る恐るつぶやく。

「そう、あなたはメフィスト。でも、メフィストではない。無理しないで。ゆっくり、思い出せばいい。聞かせて。あなたの物語を」

『丘の……丘の上。緑の、丘だ。とても綺麗な』

「アケローン」

『そうだ! アケローンの丘だ! そこで育った。毎日話しかけてもらって、いろんな物質を投与されて、自分でもびっくりするくらい大きくなった』

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「どんな人が、あなたに話しかけてくれたの?」

『ええと……青くて二股になった帽子に、赤い覆面をした……メ……メ……違う!! それは私の名前。あの人と、違う。私には私の名前があったはずだ』

 またもや、回路がスパークし始めた。今度は左腕を最大限に展開して、早いうちに抑えこむ。とはいえ、この方法もそろそろ限界だろう。

「落ち着いて。あなたは、メフィスト。あなたを育ててくれた人もメフィスト。それで間違いないのよ」

『え……?』

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 ──同じエラーが3回以上発生。自己修正機能が発動します。停止する場合は、管理者パスワードを入力してください。

 左腕に、蜘蛛の巣のように絡みつくものがあった。修正用のツールが、腕の情報を上書きしようとしている──肘から先を切り離すことで、なんとか時間稼ぎに宛てる。まだ、私全体を支配されるわけにはいかない。

「よく聞いて。あなたはミサイルなの。メフィストが作った、メフィストという名のミサイル。彼は、自分自身の人格をあなたに転写した」

 通常、ミサイリストは、じっくり時間をかけてミサイルを育てる。安定した自我を持つミサイルでなければ、航行に支障が生じ、事故が起きる確率が跳ね上がるからだ。一つ一つ、微妙に個性の異なるミサイルを、いかにうまく育て上げるか──それがミサイリストの腕の見せ所でもあった。

 しかし、ミサイルそのものに実在の誰かの人格を転写することは、固く禁じられていた。元となる人間の奥底に潜んでいる残虐性。当人でさえ一生知らなかったであろう、暗く濁った部分までもが写し取られたミサイル。そんなものを、誰も望んではいない。ミサイルはあくまで、この宇宙を祝福するためのもの。ノーストリリアの「力」、科学の悦びの象徴。

「見なさい。あなた自身の姿を」

 私は、エウテルペの飛行部隊にハッキングした時の映像を、彼のサブカメラへ転送した。空を切り裂くその姿は、伝説にあるような「星の海を駆ける」ようなものではなく──アンテナだけがかろうじて持ちこたえているだけの、今にも分解しそうな、哀れなものだった。ミサイルが身をよじるたび、また部品が数個ずつ落下してゆく。

 これは、メフィストの罪。

 盟友マクベスとの絆は、エウテルペ戦争勃発によって引き千切られた。戦乱の中でマクベスがメフィストの父を殺めたことが、決定的なトリガーとなった。元来不安定だったメフィストの精神は激しく揺れ動き、ある日突然、肉体の支配者が憎悪側に取って変わった。常人ならば、膨れ上がった憎悪にそのまま押し潰されていただろう。だが、彼はもっと大きな入れ物を見つける手段も、それに自らを転写する術も手にしていた──自我の確立していない、幼いミサイルが、ひとつあれば良かった。


 マクベスを倒すために、肉体を捨ててミサイルへ乗り移った憎悪。

 メフィストという名の「悪魔のミサイル」が生まれた、あまりにも悲しすぎる理由。


 ぱあん、と内側から風船が弾けるような圧力がかかった。分厚い憎悪の殻が剥ぎ取られ、ミサイルの初期状態の自我が浮かび上がってきたのだ。

『ナゼ──私ハ生まレた? ナぜ、私をそっトしてオイテくレなかっタ?』

 赤子のように、ミサイルは泣き叫んだ。

『なゼ、私ト共に肉体が滅ビるほうヲ選ぼうとシなカっタ! ナゼ!』

 私はまだ答えない。

 代わりに、通信プログラムを起動させる。どうしても、言い残しておかなければならないことがあった。

 私の目──モニターに、丘の中腹を駆け上がってゆく女性の姿が映し出された。後ろで束ねられた長い髪が、馬の尻尾のようにぱたぱたと跳ねている。

「聞こえる? オクタビー」

 女性──オクタビアンは、はっとした顔でこちらを見上げた。ずれかけた眼帯を直すと、荒い息をつきながら、まくしたてるように喋り始めた。

『エリス……やっぱりそこにいたのね! 戻って来なさい!』

「それは無理。この子を止めてあげないといけないから」

『わかってるの──自殺行為よ!』

「わかりすぎるくらいにわかってる。これでも、ノーストリリアの生き残りだもの」

 ついに、ウエストの部分に修正ツールが巻きついた。0と1の数列が猛烈な勢いで書き換えられ、無数に切り刻まれる自分自身を、どこか遠くから見下ろしている私。私がだんだん、私でなくなってゆく。メフィストもこういう気分だったのだろうか──憎悪に体を蝕まれるということは。彼と同じ苦しみを味わえているのだとしたら、むしろ甘美ですらあった。

「私の肉体は、既に無い──ここに転移するためには、肉体のほぼ全ての質量を、エネルギーに転換しないと間に合わなかった。エリスという人格を保つためのほんの少しのデータ以外は、もう残っていないわ」

 オクタビアンが絶句するのがはっきりと感じ取れた。 

『石も使わず、あなた自身が全部背負うというの……?』

 かつて私とパパは、この石──エリスの石を使って、悪魔のミサイルが降り注ぐノーストリリア滅亡劇から逃れた。しかし、石のエネルギーは無限ではない。まだ遺さなければならなかった──未来のために。

「オクタビー。メフィストは生きている。急いで、治療ポッドの中へ入れてあげて」

『エリス! だめよ、待ちなさい、エリス!』

 ミサイルはぐいぐいと上昇し続ける。こちらを見上げるオクタビアンの顔はもう、モニターの中のドットの一粒になってしまうところだった。そこから少し離れたところ──丘の頂上に、愛しい別の一粒がある。ミサイルへの人格転写の負荷で、意識を失って倒れたメフィスト。きっと、オクタビアンなら最善を尽くしてくれるはず。

「伝えて。これは、私の意志で成したことなのだと」

 言語を司る部分が、ばらばらと崩れ落ち始めていた。通信に使えるエネルギーも、せいぜい残り数秒分しか持たない。

 残された右腕で、私はミサイル=メフィストの意識全体を抱きしめた。果てしない虚空に放り出されて泣くばかりの、かわいそうな我が子。メフィストの罪は、私の罪。メフィストの弱さは、私の弱さ。

「かわいい子……あなたの憎悪も悲しみも孤独も、ママが一緒に受け止めてあげる……」

 ママ? と、ミサイルがつたない口調で聞く。優しさや友情のパラメーターが吊りあがり、憎悪を徐々に中和している。

 ママ、ママと無数に繰り返しながら、ミサイルの回路が私自身を吸収し、ミルクコーヒーのように全てが混ざり合ってゆく。

『エリス!』

 最後に聞こえたのは、誰の声だったろう。ああ、もう意識はおぼろげだ。ふわふわして、夢の中にいるような気もする。幼いミサイルと私は完全に一つになり、やがて──


 落下する。


「……さよなら」


 私=ミサイル=メフィストは、同時に死ぬ。


現─2

 鉛を飲み下したような、ひどい気分だった。

 意識を取り戻した時には、既に日がまた昇っていた。右腕に大きな切り傷ができて、断続的に鋭い痛みが走る。割れた水差しの破片で、すっぱり切ってしまったらしい。傷はあまり深くなく、血がすぐに止まったらしいことだけが救いだった。

 床の上に倒れていたせいで体中ががちがちだし、動けるようになるまでに相当の時間がかかった。ベッドにもたれてしばらく気を落ち着けた後、狭い洗面所で傷口と顔をなるべく綺麗に洗う。ひび割れた鏡に映る顔は、乱れた髪に荒れた肌、乾いた唇で、病み上がりの人間にしか見えない。

 さっきまで視ていた「エリス」とは、あまり似ていない私の顔。エリス視点の時に鏡で自分自身を見たことはないが、彼女の容姿は、数多くの絵画に描かれている。金色の髪に、この石と同じ透き通った緑色の瞳。エピソードの性質上、聖女のように微笑みを浮かべた表情の「エリスの肖像」。

 エリスは確かに、この宇宙を救いはした。しかし、エウテルペは結局あの「悪魔のミサイル」で滅びてしまった。そのことが、後に──

 ああ、考えているだけで気が滅入る。

 食料庫の中をチェックする。あまり大したものは残っていない。市場へ買い出しに行かなければ、晩のスープを作ることもままならないだろう。

 隅っこに入っていた、固くなったパンを水で飲み下してからしばらく経つと、少し歩けるだけの気力が戻ってきた。のろのろと私は立ち上がった。


「安いよ安いよ! 今日は新鮮な輸入物が入ったばかり! さあ、どうだい、買っていかないかい?」

 市場の一角には、人だかりができていた。不思議に思い、人と人との隙間を縫って、店の主が見える位置まで出てみると──

「さあさあ、木星産の生きのいいやつがよりどりみどり! 上等の珍味だ、どうだねお嬢さん、一匹買わないかい?」

 「木星食料品店」と看板を掲げた店先に置かれた幾つかのカゴの中には、丸い固まりに手足がついたようなものが数十、入っていた。店主が声を枯らして叫ぶところをしばらく聞いていると、植物と動物の中間種なのだということがわかった。咲いたばかりの花のような良い香りが漂ってくる。これを使うのが、木星料理なのだろうか。値段は、私の数日分の食費をはたいても、ひとつ買えるかどうか、という高価なものだった。

 しかし、よほどの品なのだろう。人々は争ったようにそれらを買い求めていた。あっという間にカゴが次々とカラになってゆく。

「おっ、木星の食材かい? こりゃあ上物だな」

 仕立てのいい服を着た男は、カゴの中身を見るなり惜しげもなく金貨を差し出して、残り全てを買い上げた。

「これはこれは。<ロード>お付きのシェフに買って頂けるとは、光栄でございますな。どれも今日の船で届いた、新鮮な品でございますよ」

 店主は満面の笑みを浮かべながら、うやうやしい仕草でカゴを男に手渡した。

「うちのご主人は、木星暮らしが長かったんでね。たまにはこれを作らないとご機嫌が悪いんだが、作ったら作ったで『味が違う』と叱られっぱなしさ。難しいもんだ」

「さようでございましたか。当店は、定期的に木星の食材を仕入れておりますので……よろしければ、今後ともぜひお願いいたします」 

「近々、また木星から船が来るらしいじゃないか。こっちでもまた何か売るのかい?」

「はい、もちろんそのつもりでございます。なんなら、お屋敷のほうに直接ご希望のものをお持ちいたしますが……」

 新たな商談が開始されたあたりで、人だかりも引いていった。私も別の店に向かってぶらぶら歩きながら、木星、という単語を思い返していた。

 そして野菜、果物、パンなど大体の買い物を終えて、帰り道にまたあの「木星食料品店」の前を通りがかった時のこと。


「もーう! だから、もうちょっと早く来ようって言ったのに」

「本日は閉店します」の貼り紙を見ながら、女性が連れに文句をつけている。様々な人種が集うアケローンでも極めて珍しい、青というより鮮やかな空色に近い髪が人目を惹く人だ。

「まあまあ、そう怒るな冷子」連れのうちの一人、紺のキャップの下から緑の膚を覗かせている男が答えた。

「だってさー、これじゃ私の腕のふるいようがないじゃない。タンホイザーだって、たまには木星料理食べたくなるでしょ?」

どうやら彼女は、目的の食材が既に売り切れていたことに腹を立てているようだった。

「まあな。でも、木星からの船は定期的に来てはいる。材料はきっとまた手に入るさ。なぁ。リンダ?」

 リンダと呼ばれた、連れのもう一人が黙ってうなずいた。

「なら……いいけど。ほら、この前私、かっとなって、ハインリヒにひどいことを言っちゃったでしょ? 彼にもご馳走できたらなーって思ってて。ジルもハインリヒも、みんなで私の超絶美味なスペシャル木星料理を食べれば、きっと仲良くなれるわよ!」

 意気ごむ冷子、苦笑するタンホイザー、無表情なリンダ──ひとしきり喧騒を撒き散らした後、三人は揃ってまた別の方向へ歩いていった。


 その間、私は身を隠すようにして、そばの路地の壁にもたれかかっていた。

 エリスの石が震えるように反応していた。間違いない。

 私──エリーゼという名の列なりに課せられた使命は、終点へ向かいつつある。


 路地からそろそろと出て行こうとした時、視界が暗く霞んだ。一瞬、また「視て」しまうのかと思ったが、そうではないことは、次の台詞ですぐにわかった。

「私の可愛い木星人をつけ回して、どういうつもり?」

 路地の入り口に立っていたのは、私よりはるかに長身の女性だった。深緑色のロングヘアーが、首元までびっちりと覆うタイプの青いスーツにさらりと垂れている。

 バンバ=エンヤ。ゴート七賢者の一員にして、<レイディの>尊称を与えられた権力者。右胸から左胸にかけて斜めに下げられた金色の細いモールが、いかにも威圧的にきらきら輝いている。

 これはまた、やっかいな相手に見とがめられてしまった。さっきの身体の異変は、目まいではなく彼女の術。恐らく催眠か、石化といった人体操作のものだろう。大して強くかけられたわけでもないのは、「この程度のうちに本当のことを言え」という脅しに他ならない。

「木星人って、さっきのあの人たちのことかしら? 私はたまたま買い物に来ただけ」

 くだらない、と思いながら私は答えた。

 バンバ=エンヤからの干渉は今に始まったことではない。「悪魔のミサイル」を信奉する彼女にとって、私ほど邪魔な存在は居ないのだ。

 <レイディ>の力を持ってすれば、私を葬るのもた易いこと。だが、とりあえずある一線のところで、私の命はかろうじて保たれている。

 胸元に下げたペンダントを強く握り締める。それを見るとバンバ=エンヤの表情は、明らかに不快そうなものへと変わった。この忌々しい小娘め──美しく紅で彩られた唇の端から、そんな呪いのつぶやきが漏れ聞こえたような気がした。

「いいわ……今日のところは見逃してあげる。でも、覚えておきなさい。これ以上私たちのことに首を突っこむようなら、あなただけでなく、『お友達』の命も保証はできないと──邪教の神官など、このアケローンにはふさわしい存在ではないのだから」

 凄艶な笑みを浮かべると、金モールをしゃらりと鳴らしてバンバ=エンヤは去っていった。


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