瞬く列なり/3

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幻─3

 喉元にあてがわれた刃は、冴え冴えと冷たかった。

 手足を拘束され、椅子に無理矢理座らされた私を、四名の戦士が囲んでいる。太陽や月、星など、各人の額には鮮やかな刺青が刻まれている。紛れもない「聖戦士」の証。そのうちの一人が、刃をぴたりと私の首へ差し伸べているのだった。

「メフィストはどうした? 愛しの姫君を一人ぼっちにして出かけるとは、あいつも堕ちたものだ」

 真正面から、灰色のモノリスのようなものが私を見据えていた。石でも金属でもなさそうな、青みがかった灰色の物質で作られたもの。大人ひとり分ほどの高さがあるそれの中央部には男性の顔が象られており、本物の人と同じように口を開くのだった。生きた彫刻──という例えがふさわしいかもしれない。

 これが聖戦士の長──私の知っていた<彼>とは、まったく異なる姿。それは向こうも同じことで、<彼女>と私は違いすぎる、と思っているに違いないのだけれど。

「ああ、もう一つ。おい、あれを調べろ」

 別の刃が煌いたかと思うと、私の胸元から幾つかボタンがはじけ飛んだ。手で引き千切ればすむところを、ご丁寧に、ボタンを留めている糸のみを断ち切っている。優雅に、かつ冷酷に。彼の教えは、部下にも徹底されて受け継がれているようだった。


 しばらくそこを凝視した後、彼は不満そうに口を尖らせた。

「お前──気づいていたな」

「何のこと?」

 口を聞くと、喉元の刃が皮膚に容赦なく喰いこむのがわかった。それでも、喋らずにはいられなかった。少なくとも一つは、彼を出し抜くことに成功したのだから。

「答えろ。エリスの石はどこへ隠した?」

「……あれは、持つべき者のところへ、やがて行くでしょう。新たなるミサイルを導くために」

 何秒か何十秒か──息苦しい沈黙が続いた。それを打ち破ったのは、うつろな鐘のような笑い声だった。彼の。

「面白い。実に面白いな。お前が石を使うのではなく、あのミサイリストに全てを託すのか! 若造のくせに、ずいぶんと気に入られたものだな!」

 モノリスはふっと浮き上がると、青灰色の頬を私の頬にすり寄せんばかりの距離まで近づいてきた。

「まったく、悪魔のミサイルのこととなると、お前たちは何事も厭わないのだな。それは……ガニメデ・シシの意志なのか?」

「違う。エリスも私も、自分で選んだのよ」

「しかし、メフィストはどうなる? お前は知らないのだろう──エリスを失った後の、あいつの絶望と虚無を」

 そう、確かにその時のことを私は知らない。メフィストが私のことを実は知らないのと、同様に。

「でも」

 喉から鎖骨へかけて、生温かいものが少しずつ滴るのを感じながら、私は語る。

「私は、エリスじゃない。あの人は、私にかつてのエリスの幻を重ねているだけ……」

「そのとおり」

 もし、二本の手があったなら拍手を加えそうな笑みを浮かべて、彼は深くうなずいた。

「だが俺は、可能性を見い出さずにはいられない」

 話すうちに気が昂ぶってきたのか、次の言葉を発する前に彼の口はいっそう大きく開かれた。そこだけが本物の肉体であるかのように、口腔がぬめったピンクに彩られているのが、禍々しく映る。

「悪魔のミサイルの力があれば、時空間をあの頃まで遡行させ、全てをやり直すこともできるかもしれない。この企てが実現するのなら、俺は何でもやってみせる。そういう意味で、お前と俺は同じだ」

 確かにそうかもしれなかった。私は未来へ。彼は過去へ執着している。

「お前が死ねば、メフィストは俺の側に付かざるを得ないだろう。今度は、本物のエリスと添い遂げられると告げさえすれば、な」

「私は……私は、あの人を信じている。二度と過ちは犯さないと、誓ってくれた」

この身体に宿るエリスの魂と私の意志。両方を賭けて、告げてみせよう。短い私の生涯の──最後の願い。


「──メフィストは、あなたの計画には従わない」


「そうか」

 短く答えると、モノリスの中央、顔面のすぐ下に亀裂が発生した。あっという間に無数の破片がはらりと舞い落ちた──のではなく、それらはゆっくりと浮かんだまま、精巧なパズルのように組み合わさってゆく。

「列なりの娘よ。せめてもの慈悲だ。何か言い残すことがあれば、聞いてやろう」

 私は答えない。やるべきことは全て行われていたから。

「……強がりなところだけは、エリスの時と変わらないときたか」

 先ほどの破片は、一本の剣の形となると、くるりと回って切っ先を私のほうへ向けた。

「さらばだ」

 そこから先は、一瞬にも、永遠のようにも思えた。この感覚は以前に知っている。ミサイルと運命を共にした時の──エリスの最後の記憶と、同じもの。

 剣が私を貫く瞬間、青灰色の端正な顔がわずかに歪むのを見届ける。限りなく引き伸ばされた時間の中で、私はうっすらと微笑んだ。そして──


「さよなら」


私──エリ・シシは死ぬ。


現─3

「エリーゼさん、最近少し痩せたのではないですか?」

 いつものようにお茶を淹れながら、心配そうな表情でゲンヤが問いかけた。

「そんなことはありませんよ、しっかり食べてますし」

 笑って答えたものの、医師でもある彼の指摘にぎくりとしたのは事実だった。

 十歳を迎えた頃に、初めてあれを「視た」。エリスがメフィストと初めて出会った時の記憶。それで私はようやく、己の出自を悟ったのだった。

 以来、幻視は時おりまとわりつくようになった。初めのうちは楽しかった。エリスとして、もしくはエリ・シシとして、伝説の中に出てくる人々と華やかな交流を重ねているのだから。しかし、徐々に「真実」を知るにつれ、自分がいかに甘い考えの持ち主だったのかを思い知らされる羽目になった。

 エリスや、エリ・シシ──歴代のことを「視る」のは、今や苦痛でしかなかった。特に、エリ・シシの最期を「視て」から数日間は、薄暗い自宅のベッドの上で鬱々と寝こんでしまい、薄いスープを幾度か飲んだだけだった。

 エリ・シシはエリスの記憶をある程度受け継いだ状態で転生したようだったが、私は「視る」ことと、文献でしか彼女達の人生を知り得なかった。同じ魂を持つとはいえ、新たな肉体へ転送される度に、互いの記憶を共有するのは困難になってゆくのかもしれない。

「それより、このお花は素敵ですね」

 逃げるかのように、私はテーブルの上に置かれた花瓶を見つめた。小さく可憐な花束が挿されている。辺りが清められるような、芳しい香りがした。

「いいでしょう、あたしが摘んできたの!」

 テーブルの向かい側にちょこんと座ったプッチーノが、誇らしそうに言った。

「こないだね、鳥さんを助けてくれた人たちにもあげたの。前にパパが教えてくれた、ノ、ノー……ええと、なんだっけ。伝説のすごいところに咲くお花と同じ種類なんだって!」

「ノーザンバランドだよ。八ノ地教の聖地だ」

 湯気の立ったカップを各人の前に置くと、ゲンヤは愛しそうに娘を見つめた。

「この花は、贈り主とその人を結びつけるんだ。そのことは覚えていたのかい?」

「うん……」頬を染めて、プッチーノは父の胸に抱きついた。


 やがて、プッチーノがすやすやと寝入ってしまってから、ゲンヤはゆっくりとこの数日間の出来事を語ってくれた。

 スペシャリストの選出に向け、ゴート機構の動きがより活発になっていること。そして、アルフレドがフィガロに捕縛されそうになったこと──。

「町中で噂になっています。一羽の赤い小鳥を助けるために、身を挺してフィガロの前に立ちはだかった、木星人の女性がいた、と」

 冷子、という空色の髪の女性だったという。そして、連れの黒い服の人物が、フィガロと対等に剣で渡り合ったのだとも。

 私は息を飲んだ。この前見た、あの人たちに違いない。

「その場面を私は見ていないのですが、とにかく剣の腕がすごかったらしい、とか。何しろフィガロが退いたというのですから、相当の使い手であることには間違いありません」

 以来、アルフレドはその一行と行動を共にしているという。話を聞きつけたプッチーノは「鳥さんを助けてくれた人に」と、あの花を摘んできて、会いに行ってきたのだそうだ。

「私も一度あの人たちに会ってみましたが、リンダは、とにかく無口というか何というか。少しとっつきづらいところのある人でしたね。冷子さんは、『昔っからこうだから気にしないで』と笑ってましたけど」

「じゃあ、プッチーノの想い人というのは、リンダなんですか?」

「そういうことらしいですね。もっとも、あの人が男性なのか女性なのか、私にもいまいちわからないのですが。まぁ、あの花は、愛情と友情、どちらを取り持つものでもありますし……それにしても、ませた娘だ」

 ゲンヤは困ったような、嬉しいような顔で娘の寝顔を見ている。本当の父親というのは、こういうものなのだろうか。

 私には父母はいない。記録によると、生後数日も経たないうちに、アケローンの養護施設の前に捨てられていた子──それが私だ。緑の石のペンダントと、「エリーゼ」という名を記した紙だけを所持して。


「そうそう、もう一つ不思議な話がありました」

 ぐっすり寝てしまったプッチーノをベッドにそっと横たえて布団をかけると、お茶のお代わりを注いで、ゲンヤは別の話を語り始めた。

「……え?」

 今度の話には一瞬、耳を疑った。まさか、ここでそんな名前が聞けるとは思わなかったからだ。

「いや、あくまでも噂ですよ、噂。もうすぐ『オクタビーの褒美』の時期ですから、皆が浮かれて騒いでいるだけでしょう」

 オクタビーの褒美──一億年に一度、エウテルペ一族がただ一人に与える、願いを一つだけ叶える力。褒美を与えられた者は「スペシャリスト」と呼ばれ、以後は不老不死の生を歩むとも伝えられる。アケローン、いや、この宇宙の住人なら誰でも知っている、有名な伝説。

「さて」

 お茶を飲み終えると、ゲンヤは「少しだけプッチーノを見ていてくれませんか」と言い残して、家の外へ出て行った。いつもの日課なので、何をしに行ったのかはわかっている。裏庭の、小さな塚の前で経文を唱えているはずだ。公の墓地には受け入れてもらえなかった、ゲンヤの妻──プッチーノとパーシヴァルの母親が、そこにひっそりと葬られているのだという。

 出て行く前に、その手にはプッチーノが摘んできた小さい花の残りがそっと握られていた。恐らく彼もかつて、愛する人にあの花を贈ったのではないだろうか。

 土の下に眠る、その人のことに思いを馳せる。まだ若い盛りに病で倒れ、そのまま伏してやがて亡くなったと聞く。夫と二人の子供を残しての死には、さぞかし無念な想いがあったに違いない。だが一方で、幸せだ──とも考えてしまうのだった。

 エリスとエリ・シシは、この宇宙を救うための生贄となって死んだようなものだった。人という種族が存続する限り、彼女たちの名が忘れられることは決してない。

 でも、本当に彼女たちのことを深く知り、その死を心から悼んでくれる人は、一体どれくらいいるというのだろうか? 彼女たちが何を求めていたのか、誰が知るだろう? この私でさえ、実際に「視る」までは、あれはおとぎ話のようなものだと思っていたのだから。

「すみません、お待たせしました」

 ドアが再び開かれると、少しばかり照れたような表情でゲンヤが戻ってきた。これも、毎回のことだ。

 エリスが欲し、エリ・シシが焦がれ、私が幼い時より羨んでやまなかった──平凡だが、温かい家族。それを、「あなた」は確かに手に入れていた。

 宇宙のためではない。この小さな家族を守るためならば。私は、いかなることでも成すだろう。


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